見出し画像

流されずに意志にて革命を

 昨日散々眠り腐ったので今日から私は規則正しく生きる。と確かに昨日寝る前にはそう思っていた。
そういえば私が高校生の頃ヤンキーマンガが大変流行っていた、漫画が好きな友人はあらゆるヤンキーマンガを読み漁っていたがその中でも『エリートヤンキー三郎』と『今日から俺は』が面白いと言っていた。その『今日から俺は』とは一体どんな話だったのだろうかと改めて思う。そもそも今日からそいつはどうしたのだろうか。そこが気になる。しかし他人の事をましてやフィクション、気にしている場合ではない。

ちなみに私の場合、結局は失敗した。
早めに0時に布団に入ったにも関わらずまたギリギリまで眠っていた。
ちょっと寝過ぎて頭も痛く身体も痛いのに眠り過ぎる、目覚まし時計も早めのいい時間にセットしたにも関わらず、なんという体たらくなのだろうか、本当にこんなに寝腐っていたらやりたい事のやるべき事が追っつかないにも関わらずというのは無意識のうちにそれで良いと思っているのだろう。

 しかしながら8時間眠った為かその後、目が覚めればそれなりにいつもより少しばかり頭は動いている気がした。

それでも結局は今帰りの電車で糖に塗れてフワフワしているのだけれども、
そんな最中で朝に読んだ、シェイクスピアかなんかの人間と二十日鼠の違いについてをぼんやり浮かべている。思い出せたりしている。
実にボンヤリではあるけれども、確か、“決められた運命に翻弄される、なすがまま流されるのが二十日鼠で抗うのが人、人とは主体的に選択し行動する。” そんなような言葉だったと思っていた。
しかし、
今改めてその文庫本を開いて念の為確かめてみた。
全然そんなことは書いていない。
全然シェイクスピアではなかった。
ヴォネガット先生の短編に書かれてある内容の解説、ようやくだった。
結局阿呆みたいに寝てもこんなもんだ。

しかし多分シェイスピもええ事言いだす。
その人の生きた時代というのは、 400年くらい前なのかしら、有名なんはなんやったかいな、
ハムとエッグのちゃうわ『ハムレット』なんぞもシュークリームのハムエッグちゃうわの、ダイラケさんのそれにもきっとええ事書いてんでしょう。
400年経っても人間の変わらない部分は共通してんやろうと、まず読め私。

 そして今日も企業に奉仕して金貰いに行って来た。
帰る頃にはさほど疲れてもないはずなのににぎり飯ともり蕎麦食らってコンビニエンスのスイーツ放り込み、1時間分位の金使っている。

それでもどこかで祈っているアンジョウわてがどうにかこうにかおマンマ食うて平和な日々を暮らせますようにと、
駅までの道、ラーメン屋に並ぶ人を横目にして思う何かを犠牲にして美味いもん食う人、
またその反対側の神社では身なりのぼろぼろの婆さまが手を擦り切れてなくなるんちゃうかいうくらい手をさすって祈っている。

その神社は老朽化もあるのだろうが最近インターネットを通じて広まった参拝客が増えて潤っているのか建て替え工事が行われている。

何かを言いたい訳ではないただその間をふらふら歩いて私は寝過ぎの自分どうにかしたいと改めて考え駅へ向かっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?