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ミニエッセイ「私と台湾語」


 私と台湾語の出会いは、覚えていないほど小さい時。台湾語研究者の祖父 王育徳(おういくとく/Ông Io̍k-tik)は、私が5歳の時に他界していたため、残念ながら祖父の台湾語を直接聞いた記憶はありません。

 けれど、アマァ(祖母)が時々電話で急に話し出す「ホー」とか「ヘー」とか言っているのが「台湾語」ということは知っていましたし、「ヒーソー(魚のでんぶ)」・「ローヌン(煮玉子)」など、食べ物の名前はいくつも生活の中にありました。
 とはいえ、私の母も日本生まれで台語はほとんど話せず、家庭内は100%日本語という環境で、台湾語を学ぶチャンスはありませんでした。
 本格的に学び始めたのは20歳の時。大学で台湾人留学生の友達ができた頃です。日本人の先輩で台湾語のできる人がいて、その人に

「王先生のお孫さんなのに台湾語やってないの? もったいないよ!」

と強く言われて大ショック。すぐに、日本で出ているテキストを全て買い込んで一通りやりこみ、一年後にはある程度話せるようになりました。


 喋り始めてみたら、何ともしっくり体になじむ言語なので驚きました。亡くなった祖父が書いたテキストで、孫の私が学ぶのもワクワクすることでしたし、まるで生前の祖父の頭の中に触れることができたような、不思議な感覚を味わいました。
 在日台湾人のコミュニティには小さい頃から参加していたのですが、台湾語が話せるようになってからは、会話に加われるようになり、ますます「自分も半分台湾人なんだなあ」と思うようになりました。
 大学院卒業後は、駐日台湾大使館に4年数ヶ月勤め、同僚が99%台湾人だったので、「駅前留学」状態で腕を磨くことができたのも幸運でした。
 2007年には『すぐ使える!トラベル台湾語』という学習書を出版し、その後も台湾語で書かれた小説を日本語に訳したり(陳明仁『台湾語で歌え日本の歌』)、日本語の歌詞を台湾語に訳したり、様々なお仕事をいただいています。

 台湾語は話者人口が多く、一見安泰なように見えますが、近年若年層での使用率が減少しており、決して将来の見通しが明るくない言語です。

 子育て世代の友人にも、自分は台湾語ペラペラなのに、「子供に対しては華語しか使わない」、「英語もやらなきゃいけないし、台語まではちょっと…」という人が多く、次世代への継承が危ぶまれます。


 今後は、特に子育て世代や子供たちが自然と台湾語に慣れ親しめるようにすること、そしてローマ字の読み書き教育を広く浸透させることが大切だと考えています。
 台湾語は、台湾が持つ大切な文化です。それを世界中で広めたり深めたり継承するお手伝いができたらいいなと思っています。

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