「妄想する頭 思考する手」を読んで。

「妄想は、現時点での最先端から始まるわけではない。むしろ、現実の世界に対して違和感を抱くところから始まる。」

この本の中で僕が一番好きな言葉。クリエイティブの萌芽にはこの違和感、ひっかかりのようなものが確かにあると思う。流行りの中にでなはく、現実の中にその違和感(おそらくいい意味の驚き)がひそんでいてそれが全ての始まりだ。

妄想。

例えば通勤途中の駅のホームで、何気なくスマホの歩数計をみているとき、なんだかカラダが楽に感じて、森を歩くことと駅の中を歩くことに違いはあるんだろうかとふと思うような瞬間。前日と同じ二日酔いで重たいはずの体を運んでいるというのに、そう考えるだけで階段を上るカラダが喜んでいるように思えたり、山路を登っていく自分を想像したりする。

そこに本質的な違いがないならば、と妄想はふくらんでいく。健康とスポーツがテーマになっていく時代だ、これからは街や駅中にバリアフリーとは真逆のアスレチックコースやウォーキングコースができるかもしれない。あえて急勾配な通勤コースを作っても面白い、視覚的なイメージが必要なら、ARを使って、まさに森や森に棲む動物たちを出現させて楽しむことも可能だろう。そんなアスレチック商店街やストリートができるかもしれない。そうなれば日が昇る時刻に家を出て街中を10kmウォーキングしてから出社することも楽しくて仕方なくなるだろう。

歌舞伎座のイヤホンガイドから始まったという、暦本先生の人間拡張の妄想。従来目にしたり耳にしていたことがふいに新しく感じる瞬間を違和感としてつかみその正体を突き詰めることが研究へとつながっていったそうだ。エンターテインメントも同じ。例えば、宮本浩次が出したROMANCEというJ-POP女性ボーカリストの名曲カバーアルバム。宮本浩次という稀有な才能が歌詞の中に生きる女性像に再びリアリティを見出したとき、光の当て方がぐんと変わって新たに生まれ変わる。宮本浩次にだけ見えていた女性像の妄想がこのROMANCE大ヒットの原点だと思う。

違和感は様々な場面で見いだされる。千鳥と仕事したい人といったらディレクター全員が手を挙げました、という番組スタッフの話。5年も前のことで千鳥がまだもがいていたころのことだった。今まではなかったことが東京キー局の会議室で起きている。顔をあわせていた芸人の返しがうまくなる、笑う表情がかわいく見える。色んな違和感がありそのとき立ち止まって考えることができるかどうか。

energy~笑う筋肉~もそうだった。プロデューサーとしてワークショップに参加した時、体をたたき足を踏みならしてリズムにのせることがとても楽しかった。まわりの人と呼吸をあわせると、さらにその喜びは増した。妄想はふくらむ。このリズムアクションを街中で挨拶のように交わし合ったら面白いだろうに。世界中の人が同じリズムで体をたたきリズムを交わしあうようになれば、なんて平和で楽しいことだろうか。

違和感の中に人間の喜びの種を見出すこと。たった一人でもそれを面白いと感じたら面白いと発信することだ。暦本先生のような、そうしたことに喜びを感じる仲間はこの世界にまだまだたくさんいるのだろう。

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