問いについて

最近無性に問いについて考えている。問い(既に用意された問は全然面白くない)とは新たな思考の冒険のこと。そもそも、その問いでいいのかどうか、をまず初めに問うこと。問いを磨けばバリューがあがる。それは間違いないことは明確にわかってきた。

そんなとき、NewsPicksパブリッシング編集長の井上慎平さんから「人は語り続けるとき、考えていない」という本を紹介してもらった。https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%AF%E8%AA%9E%E3%82%8A%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D-%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E6%B2%B3%E9%87%8E-%E5%93%B2%E4%B9%9F/dp/4000245392

これが自分的にすごくよくてなにが響いたかというと、「考える」と「思う」についての考察の章で「考えると私たちが呼んでいる行為は歩くや座るのような比較的に単純で基礎的な行為ではなく、むしろ交渉するときのような一連の複雑な行為の集合を指しているということである。」という箇所だったりする。

「思う」と「考える」をまず最初に分離すること。その上で「考える」ということが普段行為として仕込んでいる様々なプロセスを脳に課すモノであるならば、もっと意識的に「考える」ことができるではないか。今までイメージ先行で仕事をつくってきた自分にとっては、"考える→問を磨く→バリューを発揮する"ためには、「考える」行為で「複雑なプロセスを検証する」ようにすればさらに色んなことが可能になっていく。うまくいえないけどそういうことなんじゃない?

「思考は現実化する」という言葉の意味は「思う」強さではなくて、「考える」ことによる「プロセスの可視化」にある。そういうことかとふいに腹落ちした。よし、始めようー。

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