自分を表現すること。

自分を表現するとはなんだろう。先日、しんぺいさんから「どんな仕事なんですか」と聞かれ自分でも意外なことにぱっと答えることができなかった。あれやこれや言葉をつなぐのだがなぜかしっくりこない。すごくもどかしい感覚になった。「マネジメントができないことで、、」とか「タレントとの関係性が重要で、、」などもごもごいってはいるのだが聞いている二人(ふみおさんとしんぺいさん)もしっくりきていないのがわかる。自分のことをわかってもらいたい仲間たちだったからよけいもどかしい思いをした。

僕はエンターテインメント業界でプロダクションに所属しライブ事業部でプロデューサーとして働いている。ライブ事業部では主に自社劇場以外の会館や屋外空間等の場を使って王道である手打ち(票券元が自社)興行を企画制作し、チケットを販売して興行収入を得ている。他にも優良なコンテンツや公演をパッケージごとテレビや新聞、会館といった様々な事業主体に売ることもあれば、時にはマラソン大会といったスポーツ事業を手掛けることもある。

またタレント同士のトークライブや全国ツアーライブを企画しマネジメントを通して本人たちの了承をえて、これも自社の興行として世に送り出したりする。いずれにしろ企画立案からキャスティング、タレント折衝、チーム編成、予算管理、制作、進捗管理、票券管理、プロモーションととにかく一通り自分でやる。

こう書くとなぜこんな簡単なことがうまく説明できなかったんだろうという気になるが、なぜかその時はもごもごしてしまった。自分なりに理由を考えたが、1つは普段からそんなことをあまり話すことがないからだろう。また1つは好きな仲間たちに自分のことを少しでもわかってもらおうと色んなことを詰め込めすぎてしまったからだろうと思う。いい年して恥ずかしいがそのせいでずっととりとめないことを話していたような気がする。とにかくはっきりいえることは、普段から言葉を身内に向けることが多くて、外に向かって表現する意識が低いからだろうと思う(なさけない話だ)。

その時、実はもう一つもごもごしてしまったことがあった。それは学生時代に話が及んだ時のこと。しんぺいさんに、ニーチェを読んでいた高校生がエンターテインメントという真逆の世界に入ったのはどうしてだったのかと聞かれた時だった。こちらの質問については今の仕事内容以上に答えることが難しくてただ単に戸惑ってしまった。というのも、自分でも今だになぜかを言語化できていないししてこなかったからだ。

帰りの列車に揺られながら、自分のことを人に伝える、表現するって難しいなと考え込んでしまった。普段から考えて意識的に外に出す、表現する習慣がないとずっとこんな風にもごもごすることになるんだと思って少し悲しくなった。ニーチェの話題のあとに、高校時代はずっと虚無感を抱え持っていた、という話をしたが実はその頃の感覚もリアルに胸の奥の方にはざらついたまま残っていて、あの底知れない虚無の源泉に何があったかも自分ではわかっていた。けれどいまこの場で話をして伝わるんだろうかと不安になって結局それ以上のことは話ができなかった(それはそうだ、おそらくきっかけのようなものはわかっていても、なぜそうなってしまったのかが自分でも言語化できていないのだから)。

まずは仕事内容ぐらいいついかなる時もすらっといえるように意識を外へ向け続けたい。そしてそれ以上に、ニーチェにひかれた若い日の自分の原点、魂をごうごうと焼かれて灰となったあの虚無感の原点に何があり、なぜあそこまで盲目的に自分を否定することに夢中になったか、あの頃の景色や自分の内面を見つめて言語化したい。当時は不条理な道を行くのだと決めていた。なぜそこまで思いつめて生きていたのだろう。これは自分を知るための最後のチャンスだ。うまいかへたかはさておき、それを自分のために言語化して人にわかる伝わる言葉で表現したい。

いましないときっともごもごしたまま一生をおえてしまう。それってとても悲しいことだ。列車の中で僕はそれはいやだと思った。ほんの少数でもいい、大切な人たちに聞かれたときに自分がどんな風に生きてきたか、どうしていまいる道を選んできたのかは伝えることができるようになりたい。いまの自分にとってそれはとても大切なことのように思う。

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