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生い立ち④

4回目は 思春期の頃~です


中学時代を飛ばして15歳から
高校生のあたりを振り返ってみたいと思います


中学生では、
今思えば昭和だな~と思わざるをえない
努力根性の世界、競争社会のなかで
教師や友達と数々の出来事をへて
だけれども、自分や周囲に対して
な〜んの疑問ももたずに
ごく普通の子供らしく(?)過ごしてきたと思います

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進学したい高校が、第一志望校ではなくて
第二希望の学校を受験しましたので
そのへんからちょっとずつ
世の中思い通りにいかないということを
感じ始めます(やっと)

学力が足りなかったから第二志望校にしたのですが
校風が全く違ったので、
自分とは合わないけど行くんだと
ちょっと納得してませんでした

高校も選べる自由はなく
一つ下げるならここでしょ?ってな具合で
親、とくに父は
第一志望校に行ってほしかったみたいです
多少自慢度が違うみたいでした


それでも、新しい環境はワクワクします
高校に入学すると
とてもアグレッシブに友達作りに励み
初対面の子に一緒にクラブ入ろうと誘ったり
高校の一つ先をもう見ているような感じでいました
都会に出ると決めていたので


高校生活は
楽しい流れは最初の一年くらいで
ちょっとずつおかしくなり始めます

高校卒業後の進路はもう決めていて
東京に出るという意思が固かったわたしは
大学・短大進学や、地元就職する生徒が多いこの高校の
多数の子とは、まったく合いませんでしたが
受験勉強は必要ないという気楽さがあるので
好きな教科だけは進んで勉強し
物理化学・数学といった理解不能の教科は赤点ギリで
切り抜けていました
現代文や英語のリーダー、
美術が好きで部活にも入ってましたね



それなりに進学校なのに
ヤンキー風⁈な生徒がいるのも
何でだろと思っていましたし
わたしは真面目なので正直言って目障りでした
(その感情が伝わり負のスパイラルに巻き込まれます)
その人たちも
周りと合わないと思っていたから
悪目立ちをしていたのでしょう
反抗、イライラの裏返し

周りと合わないと感じる時
根底に、ここ来たかったとこじゃないんだよね
ということがあるので
周りがよくないとすべて環境のせいにして
もともとがそうなんだからうまくいくはずないと
思っちゃってるのです

それはまさにわたしのことでもありました

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しかし、学業はそれなりにこなして
卒業しなければなりません

自分で来たくせに先生に反抗したり
不真面目に授業を受けなかったり
そんなやつらが許せなかったので
やつらとの会話を
意味がないとかんじて避けました

そういう子たちと自分から距離を置くようになり
なかよし風(ふう)に会話をしなかったら
反対に彼らから言葉の暴力をうけたり
嫌な役押し付けられたり
いじめられるようになりました


自分から距離をとると
たいていは誤解されます

『わたしはわたしのやり方を貫いて
 まじめに地味にしてたいだけ』

なんですけどね。



毎日学校でお腹壊してトイレにこもりっきりだったり
太ってきちゃったり 蕁麻疹が出たり
夜 眠れなかったり

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どんどん嫌なことが
学校以外の場所でも起きはじめて
不のループ在中の高校生活でした
いいこともちゃんとありましたけどね

ほんの数年間のことですが、
当時は毎日がつらくて体もこわばり、
早くここから出たいと思っていました
そして
自分なりに地味にやってる人を見つけたり
とくに美術部の子たちはオタク系が多く
わたしのホッとする場所 逃げ場
になっていました



感謝しています
この時期、
私の味方になってくれた人のことを
わたしは今でも思い出します
もし会うことがあれば
あの時はどんなに救われたか、
本当にありがとうございましたと
言いたいのです


また、
読書で自分と向き合ってみたり
音楽にのめりこんだりと
好きなことに目を向けて
嫌なことは気にしないようにしていました
フルシカトを決め込みました

いじめてくるクラスメイトが憎いので
家から包丁を持ってきておどそうか
新聞紙でくるめばお腹のところに忍ばせて
持って来れるんじゃないか
などと本気で考えるほどだったのですけれどね(笑)


先生も、三者面談では私が行きたい専門学校じゃなくて
近場で似たような短大があるよとか、
成績がいいから英文科はどうだとか
もう、意思が固いのに一応親の前だからと
そんな対応をして下さり、
でも理解出来なかった

英語は成績がよくても
私はたまたま出来ただけで
その道の才能があるわけではないことは
わかってました
勉強を進めていくうちに必ずつまずきます
そこを乗り切れるほど
英語は好きじゃなかったんです
洋楽が好きなだけでした


やりたいことは、それじゃない!
こんな田舎、親元に縛り付けられてたんじゃ
なにも変わらない!

一人で都会に出て
こことは全く違う成長が得られることを
すごく期待していました
憧れていた環境に近づくにつれ
ワクワクがとまりませんでした




あこがれの地での生活

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誰かに従わず、
自分のやってみたい
好きな道を選んでよかった


この一言に尽きます

今でも本当にそう思っています



専門学校は、
オタク系のくせに服飾系なのですが
(まだまだ自分がわかっていない勘違い中なのです💦)


めちゃくちゃハードで
めちゃくちゃ楽しかったです!!!!!



なんて言うか
ぜ〜んぶおもしろかったです(^○^)

課題の【量】が半端ないので遊ぶ【ヒマ】がないのです!
でも遊んでたんです(笑)
徹夜して制作しては、ちゃんと提出していました
すごく学んだ時期でした
ほ~んと充実してました 全てが !!


正直、わたしはダサすぎたし
こんなおしゃれバカ(敬意&愛)たちと合うはずもなく
ここでも浮くのですが違ったのは、

それもありだよね

みたいな軽いノリです


ダサいことすら個性と受けとり
面白がって、決して否定しようとしないんです
ある意味こころざしが高く、何でもありだったことが
楽しくて仕方ない世界へとわたしを導いてくれたのです


自分が自分であっていい


個性を重んじる彼らですから
むしろ個性がないと興味はないし
好き嫌いがはっきりしているし
自分がダサくて初めはかなりショックを受けた私でしたが💦
自己表現というものを目の当たりにして 
その業界を目指す子たちがどんな感じなのかわかったし
先生も素晴らしかったし
わたし自身もやっとここで好きなことだけ
好きなだけやればいいんだと
あなたの世界を表現していいよと言われているの
ですから楽しいのです


ブレずに目指す道をすすむことが出来て
この時のわたしはほんとに幸せ者です♡


ありがとう!
行かせてくれた親に大感謝しかありません!!

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そんなわけで
思春期で風向きが変わり、
少しもがいて都会に出してもらったわたしは
少しづつ己というものをわかり始めることにも
なっていきます



その専門学校を卒業してからのことは、
また次回に続きます・・・・・
よろしければまた次回もご覧ください
読んでくれてありがとうございます。

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社会人一年生⑤






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