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『サンガジャパン』vol.25 特集・原始仏典

(倒産した出版社のサンガですが、元編集者が中心となってサンガ新社として復活しています。かつての在庫分が倉庫から見つかったそうで、私が書かせていただいた『サンガジャパン』vol.25 特集・原始仏典も、オンライン・サンガで定価(税込1980円+送料198円)で購入することが可能になっています(5/5時点)。私としても力を入れて書いたものなので、もしご関心のある方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。以下は、出版当時、Facebookに書いた内容紹介の再録です。)

 私も原稿を書かせていただいた、『サンガジャパン』vol.25特集・原始仏典が届きました。
 前号(特集・チベット仏教)が内容も厚さも価格も破格だったため、今号は王道の原始仏典特集なのだろう、と思っていたのですが、
 できあがったものを拝見すると、予想がいい意味で大きく裏切られていました。
 「原始仏典」というのは、文献学的な古層のことではなく、副題に「―その伝承と実践の現在―」とあるように、釈尊の教えが現代、どのように受け継がれ、生きているかに焦点があてられています。

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 その意味で、経典の教えにどのようにかかわるべきかを懇切丁寧に説かれている巻頭のスマナサーラ長老による「経典の読み方」は、とても重要で、多くの読者に役立つ内容だと思います。

 三砂慶明「中村元が読みたい!」は、中村元先生とそのお仕事の紹介で、「哲学思想は、一般の人々の実人生に、何らかの形でためになるものでなければならない。思想は「生きたもの」でなければならない。(以下略)」(『学問の開拓』)という中村先生のお言葉のとおり、
 いかに経典の言葉を生きたものにするのかが、巻頭の長老のお話であり、本特集の機軸にもなっています。

 パーリ仏典の個人訳を続けられている片山一良先生のインタビュー「経典に沈黙を読む坐禅瞑想に沈黙を知る」も同様で、言葉と言葉を超えたものの関係、そのような理解にたった翻訳の姿勢が語られています。

 藤本晃「原始仏典とは何か」では、前半では近代的な仏教理解が行とさとりを欠くものであることが指摘され、後半では、最近の学者のパーリ仏典についての捉え方が、パーリ仏典こそが釈尊の言葉をそのまま記したオリジナル仏典なのだという立場から批判されています。

 島田啓介「ティク・ナット・ハンの原始仏典解説を読むために」は、なぜ大乗系のベトナムの禅僧であるティク・ナット・ハンが原始仏典についての解説の三部作を著したのか、またその大乗的解釈というべき解釈の姿勢が紹介されています。

 私(吉村均)の「大乗仏教は大乗経典に基づく教えか?」は、編集の方にわざわざ慈母会館でやっている私の勉強会に来ていただき、チベット仏教における阿含経典(アーガマ)の扱い方、ナーガールジュナ(龍樹)と阿含経典、ナーガールジュナの涅槃解釈について、と具体的にリクエストをいただいたものにそって、私がこれまで考えてきたことをまとめさせていただきました。
 このような機会をいただいたことに感謝しています。

 松本榮一・松本恭「ブッダガヤの瞑想家たち」は、40年前のブッダガヤ・日本寺における松本榮一さんの様々な出会い―ダライ・ラマ法王の日本寺訪問と今につづく交流、葉上照澄師(!)がビルマ寺にゴエンカ師(!)を訪ねられ、瞑想について対話されたこと、依頼されて写真を撮りにパトナを訪れた時にクリシュナムルティ(!!)に会われたことなどが回想され、40年ぶりのブッダガヤで様々な伝統の師(カルマパ17世も!)に会われたインタビューが収録されています。個人的には、もっともっとお話をうかがいたい内容でした。

 北伝と南伝には、所伝に大きく食い違うところもありますが、私としては、感情的な優劣論ではなく、互いを見比べて、それが仏教理解の深まりにつながっていくような議論の展開を願っています。

(オンライサンガの購入ページ)


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