伝統仏教とは?
仏教というのは、乱暴に要約すると、
私たちは宝を見つけようと、外をキョロキョロ探しているけれど、
最高の宝は私たちにすでに備わっており、
しかし、関心が外に向いているので、そのことに気づくことができない、
という教えです。
外に向いてきた目を自分の心に向けるための心の訓練が、仏教の瞑想です。
自分が探し求めていた外に宝はないことは、宝を見つけた人に聞かないとわからないので、仏教では(すでに宝を見つけた)師の導きが必要とされています。
今の日本の仏教研究の主流になっているのは文献学で、明治維新の後の文明開花の時代、様々な技術や知識を西洋から取り入れた際に、当時のヨーロッパの仏教研究を取り入れるところから出発したものです。
伝統仏教とは、教えの言葉の捉え方が根本的に違います。
言葉は正解にたどり着くための手がかり、ヒントだというのが、伝統的理解です。
それに対して、近代的理解は、教えの言葉を西洋の一神教のような、従うべき教義と捉えるものです。
チベットには、伝統的理解が今でも残っていますが、私自身、教えを受けてみて驚いたのが、学問的理解と伝統的な理解がまったく別物、別の発想に基づいている、ということでした。
たとえば、日本の学問的な研究では、中観派は輪廻を否定している、と理解されている方が多いですが、チベットに、輪廻を否定するお坊さんは誰もいない、と思います。
空(くう)というのは知識や従うべき教義ではなく、今の自分が捉えたものが真実だ、という思いから解放された境地のことで、それこそが私たちの求めるべきもので、それを体験した時は、輪廻はない、ということで、
輪廻はないという教義を信じる教えではありません。
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