初潮に赤飯でお祝いするのはどうしてか。
今でこそその数は少なくなったそうですが、初潮(いわゆる最初の月経)の際には赤飯でお祝いすることが風習だったらしいです。
さて、そうした文化の良し悪しは置いておいて、個人的な疑問が出ました。どうして初潮を迎えた時には赤飯で祝うのかと。
Google先生に訊くと、まあ出るわ出るわ。でもその大半が、お祝いするようになった理由ばかり。
・小豆の色には魔除けの役割があった
→小豆色のものだったらなんでもいいじゃん
・父や祖父母に娘が順調に成長していることを伝えるため
→赤飯でなくてええやん
・村や近所の人に赤飯を炊いて配った
→赤飯でn…(ry
まあどれも「赤飯“で”祝う」理由から微妙にずれてる。
とりあえず昔から初潮の日にはお祝いする風習があったのは確か。というのも、女性は昔(明治より前?)家のものという所有意識に塗れた存在でした。だから、「身籠る能力がついた」年齢になるとそれを祝して一家総出でお祝いするようになったんだとか。今となっちゃとんでもない話ですが、前近代ではそれが当然の習わしだったみたいですね。
赤飯で祝うようになったきっかけですが、江戸時代に女性が付けていた生理用品の名前が由来みたいです。
当時、女性の生理品を隠語で「お午」と呼んでいたようです。それが午の腹帯に似ていることからそう呼ばれたらしい。
そんで、「お午」を初めて使う初潮を「初午」と呼んだのだそう。
で、この「初午」がなんなのかっていうと、二月最初の午の日のこと。この日は農業の開始日で、この日を初午と呼んでその年の豊作を願って赤飯でお祝いをしたそうな。
この「初午」という共通項から、初潮の日を“赤飯で“お祝いしようということになったみたいです。
さて、初潮に限らず、お祝い事のたびに食卓に並べられる赤飯ですが、どうして赤飯はお祝いの品として脚光を浴びたのか気になります。
そこでそのルーツを調べると、そもそも太古の昔、米自体が赤飯のように赤みを帯びていたようです。中学の社会で習うことですが、稲作文化はユーラシア大陸からやってきた渡来人によって持ち込まれたものです。この時に持ってきたお米を赤米よび、赤い色をしたお米だったのです。
無論、食糧に乏しい時代でしたから、お米は大変価値のある穀物でした。だから、供物としてしばしば神様にお供えされた。その名残で、お祝いの席にはお赤飯がよく出されるというわけです。
とまぁこんな感じですが、諸説あるみたいですね。しかも、全てネットの情報なので真偽は不確かです。近いうちにここいらの本でも探して読もうかな。
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