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禍話リライト「獏」(怪談手帖)

Aくんの中学時代の話である。

友人というほど親しくない、Bくんという生徒がいた。
Bくんは同級生とのふざけあいや、中学生なりの付き合いというのが苦手なタイプで、休み時間はいつも一人で本を読んで過ごしていた。
学生というのは残酷なものである。ただそれだけで「陰気」と言うレッテルを貼られてしまったBくんは、クラス内の所謂明るい不良グループから半分いじめのような数々のいじりを受けていた。
そんなときBくんは、ただひたすらにじっと耐えているような子だったという。

AくんはBくんと共通の小説家が好きということもあり、クラスの中では一応時々会話や挨拶を交わす間柄であった。
あるときAくんは、珍しくBくんから相談を受けた。
クラスでのいじりのことかな、嫌だな、自分には何もできないのに、と憂鬱に思ったのだが、そうではなかった。

最近、悪夢を見るという話だった。
毎晩毎晩、同じ内容の嫌な夢をずっと見続けている。そのせいでろくに眠れていないのだという。
そういえば、このところBくんは授業中に居眠りをしてよく教師から注意を受けており、それがまた更なるいじりに繋がって……という悪循環になっていた。

青い顔で、Bくんはその悪夢について語り出した。
くどくどしく冗長な語り口ではあったが、内容は酷く不気味なものだった。
曰く。
夢の中で、肘をついた学校の机や尻をつけて座っている家の床などに、細かいひびが入っていることに気がつく。
すると、見つめるうちにだんだんそのひびが大きくなって、黒々とした亀裂となり、その中から無数の小さな人たちが湧いてくるのだという。
顔の見分けもつかない、蟻くらいの大きさの男女が。
それは互いに絡まり合うようにしながら、口々に何か恐ろしいことを呟きながら、Bくんの体にびっしりと這い上がってくる。
でも、自分は見ているだけで何もできない。そんな内容だった。

Aくんは気持ち悪いなぁと思ったのだが、B君が押し黙っているので、どう言えばいいのかわからず口を噤んでいた。
やがて、Bくんはその悪夢について自分でも何とかしようと色々やってみたけどだめだった、と言い始めた。
聞いてみると、それはひどく古典的な方法であって、獏に頼ったのだと言う。
獏。悪夢と食うというあれだ。
悪夢を見た後に「今の夢は獏にあげます」と唱えるとか、獏の姿や字を書いたものを枕の下に置くとか、Aくんも何かの本で読んで知識としては知っていた。
Bくんは昔話みたいなそれらを一通り試したらしい。
けれど結局のところ効き目はなく、相変わらず毎晩悪夢を見てしまうのだと。
Aくんは、そんな古臭いおまじないなんかで解決するわけがない、と内心思っていた。
Bくんの悪夢は、どう考えても学校でのストレスが原因だろう。
何か他に良いおまじないを知らないか、と聞かれたが、病院に行った方がいいんじゃないかとしか答えられなかった。

それからまた日々は過ぎていった。
Bくんは相変わらず眠れていないらしく、どろりとした目つきでいつもうとうとしており、教師からの𠮟責の声は増え、それをネタにしたいじりも酷くなっていた。
しかしそんなある日、Bくんがやけに嬉しそうな顔で、Aくんに「うまくいった」と声をかけてきた。
通院か何かして解消したのかな、と思っていたのだが、Bくんは以下のようなことを語った。

「やっぱり獏だったんだ」
「でも頼るんじゃだめなんだよ」
「自分が獏になればよかったんだ」
そうして、
「あいつらぜんぶ、たべちゃったよ」
と言って少し笑った。

何を言っているのかわからなかった。
食べたとは何かの比喩なのか、ふざけているのか、さもなければ変なものにハマっているんだ。
そう思って、Aくんは適当に相槌を打って話を切り上げた。

このようなBくんとの取り留めのない会話を、Aくんが細かく覚えているのには訳がある。
それから程なくして、Bくんが亡くなったからだ。しかも学校で。
昼休みに教室を出て、校舎の裏にある倉庫の中で亡くなっていた。
自殺ではなかったそうだが、不可解な点の多い死に方で、飛び交う真偽の怪しい噂の中、「死に顔がおかしかった」と言う一説だけが妙に頭に残ったという。

その後、クラス全員でBくんの告別式に出ることになった。
経緯はよく覚えていないが、確か遺族からの要請だったような気がする、とAくんは言った。
そして告別式の当日、会場で席に着いたAくんは、あることに気がついた。

――遺影がおかしい。
祭壇に置かれたBくんの写真。
それはまるで、あくびをしているかのように大きな口を開けて顔を歪めていた。
こんな写真を遺影に使うものだろうか。
Aくんの乏しい知識でも、それは明らかにありえないように思えた。

しかし、誰もそのことについて触れないまま式は始まった。
読経が響くなかで、Aくんは更に自分の目を疑った。
遺影のBくんの口が、どんどん大きくなっていくように見えるのだ。
まさか、そんな。
だが、会場の空気はさらに重く異様に張りつめていった。
Aくんはなるべく遺影の方を見ないようにしてこぶしを握り締めていたが、全身に嫌な感覚が纏わりついてきた。
何かに吸い込まれそうな、あるいは自分がひどく深い穴の前に来てしまったような。

やがて焼香の時間が来た。
立ち上がりたくなかったが、仕方がない。
ほとんど目を瞑ったような状態のまま、床だけを見て焼香台の前に進み、焼香を済ませた。
しかしその瞬間、全身の嫌な感覚が頂点に達し、Aくんは思わず遺影を見てしまった。

声をあげなかったのが、今でも不思議なくらいだという。
 
額縁の中のBくんの顔は、Aくんの表現を借りるならば、蟻地獄のようになっていたという。

あくびのように開けられていた口が渦を巻いて――

――それ以上は思い出しなくない、とAくんは表現を打ち切った。
幻覚か何かだと思おうとしたのだという。
Bくんと色々話していたから、自分だけがこんなものを見てしまうんだと。
けれど、理解が追いつかないまま、ふと横目で見た担任教師もまた、遺影の方を凝視したまま凍りついていた。

告別式の記憶は、焼香の前後以外は全体に曖昧だそうだ。
ただ、式の最中は不気味なほど静かだったのに、式が終わった後に女子生徒やあの不良グループなどの中から、具合が悪くなったり吐いたりする者が続出したらしい。
どうも全員、あの遺影を見ていたようだとAくんは言った。
そしてBくんの言葉を思い出した。
悪夢を食べる獏の話。

自分が獏になればよかったんだ
あいつらぜんぶ、たべちゃったよ

「もしかしてあのとき……あいつ、あれ…………僕たちを、食べようとしてたのかな……って」
自分で何を喋っているかわかっていないぼんやりとした顔のまま、ぽつりとAくんは最後に呟いた。



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著作権フリーの怪談ツイキャス「禍話」2021年7月17日放送分の内容から一部文字起こしさせていただきました。https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/692664354

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