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かたまらないけど 出していいですか。

自分でもなんなのかよく分かっていないものを、外に出すのはどうなんだろうなと迷う。

ものすっごく勘違いかもしれないし、ひとりよがりで自己陶酔な恥ずかしいやつかもしれない。

それならまだしも。

そうしたいとは全く思わないのに、もしかしたら状況が違う人の心をえぐってしまうかもしれない。

なので、
"あ。なんだか鼻につくなぁ…。"
と感じられたら、目線を外してもらいたいです。
よろしくお願いします。

そして、8,000字近い長すぎる文です🫠


(*6月から少し書いては寝せ…また少しだけ書いては寝せてしまったので、時間の感覚がずれているような文章かもしれません。大目にみて頂けたら…)


夏休みが終わりました。

小学校も中学校も1日が始業式でしたが、ほんの数日前が登校日で、課題テストやら宿題の提出やらは済んでいたので。
娘も息子も学校モードへの切り替えはもうできている様子でした。


前日の夜はサクサクと次の日の準備をして、

「あー。夏休み終わっちゃったなー。
今年の夏休みは忙しかったけど、充実してた。」

娘はそう言いながら、名残惜しそうに
でもすっきりした顔で、
「おやすみなさ〜い👋」
と、リビングを後にしました。



1学期の間、中2の娘は毎日登校をしていました。

放課後はみっちり部活をして

「ただいまー。あ〜、暑かったぁ…。猛烈にお腹空いてる…。」

とか言いながら手を洗って
当たり前のように冷凍庫からパピコを出して
今日の学校の出来事を話してきたり、こなかったりして

片耳にイヤホンをしてスマホを見ながら
TikTok見てるのか
Instagram見てるのか
それは知らないんですが
片膝上げて椅子に座って
ぽけ〜っとすきなようにひと息ついて

夕飯の準備を手伝ったり手伝わなかったり
配膳はだいたい毎日一緒にやって
みんなでテレビ観ながら何だかんだしゃべりながら(息子が1番よくしゃべってる。)夕飯たべて
だいたい1番先にごちそうさまをして
食器を下げたあとは

自分の部屋に行って
課題をやってるのかどうなのか
これまた分からないんですが
たぶんやることはやってる雰囲気で

部屋から出てきてもiPadとイヤホンをお供に連れたまま就寝準備モードにはいり
なんやかんやと済ませて

「おやすみなさい👋」

と、リビングでTVer観ている夫やわたしに声を掛けて
彼女の1日が終わります。

だいたい毎日そんな感じでした。

娘もですが、まるで頭から湯気が出そうな、脳みそが溶けそうだった去年のわたしの状態を思うと。
ずいぶん落ち着きました。

わたしも、
おいしい、とか、たのしい、うれしい、をだいぶ自然に感じられるようになりました。



"入部して来た1年生がみんな優しい子たちでかわいい!"

とか。

"しかも即戦力でまじ凄い!!"

とか。

"社会の〇〇先生の話がすごく面白かった!"

とか。

あっけらかんと学校の様子を話してくる娘を見ていると、去年のことが 夢だったかな… と感じそうになります。

1学期の間、学校の行事にも積極的に参加をしていたそうです。
(娘からのちょこちょこっとした話と、学期末の2者面談で担任の先生からも聞きました。)

"興味があるな〜と思って1人で参加申し込みをしてみたら、お互いに気が合う子たちの集まりになってて。結果、とても楽しめた!"

地域ボランティアの活動や、学校で募集があった企画など何個か参加をしていたようで、話を聞く限り毎回そんな流れになってたみたいです。



これは1つのバロメーターでしか無いですが。

1学期の期末テストでは上位10%に入っていました。
教科によっては1桁順位のものが何科目かありました。

娘は学ぶことが好きなタイプで、新しい事を知った時のわくわくが強く頭に残るような所があります。
それは小さい頃から。

なので、先生の雑談とか、合間のちょっとした話を聞くのもすきなんだと思います。
そしてそれを時間が経ってもよく覚えていました。

「聴く姿勢がすばらしい」

は小学生の時、娘の担任になった先生からは毎年聞く言葉でした。
でも彼女にとっては普通なんだと思います。
興味があって、授業が楽しいから。
ただそれだけなんだろうと思います。

学校で過ごしている時間
子どもたちが自分の好きな時間の過ごし方をしたいと、自然に思うものだとしたら

人を笑わせるのが好きな子がいたり、
自分の趣味や嗜好の話で周りと盛り上がりたい子がいたり、
休み時間はじっくり本を読んだり、好きな絵を描きたい子がいたり、
先生たちとお話しするのが好きな子がいたり、
とにかく体を動かして休み時間にめいっぱい遊びたい子がいたり、

それぞれに興味や関心が向くものは色々な中で、娘は、友だちと楽しく過ごす休み時間もすきだけれど、授業の時間がとても好きなんだと言っていました。

あと、学校の仕組みを考えることもすきなんだと。
みんなが楽しく過ごすにはどんな風だと良いんだろうってよく考えるんだ。と。

「お母さんが言う、何かに打ち込んでみたら?っていうのの答えとは違うかもしれないんだけど。
私は学校で勉強してる時間が今は1番楽しいって思うん。これって変かなぁ。」

娘がわたしにはっきりとそう言っていたのは4年生の時でした。

「みんなが、宿題がだるいなぁ〜って言ったりする感覚が本当はあんまりわからないけど、"ちょっとだるいよねって合わせたりしてる。"と内緒な顔して笑って言っていました。


娘の好奇心の向いている方向が、

" 先生&学習&友だち = 学校 "

なのは、そばで見ていて分かりやすかったです。

ちなみに、これは娘だけでなく息子もですが、
「先生から教わるのは学校だけがいいから。」
と言って、塾に通う事は断固拒みます。

中学校での英語の学習が学校だけで足りるのかな…と内心氣になっていますが。
本人たちがそういう思いならそれでいいや、とそのままにしています。


実際、小学校時代は熱を出したりして明日はお休みしないといけないかな…の時には泣いて悲しんでました。
あまりに学校に行きたくて、自分の免疫力を信じて明日には絶対治ると自分に言い聞かせて熟睡し…
実際に翌朝には良くなっていて嬉々として登校していった事が何度もありました。


なのでなおさら、去年学校に行けなくなった時には本人もショックを受けていましたし、とても混乱していました。

わたしはわたしで娘の変化を受け止めきれずに。
自分の器からあふれ出ているのを感じながら、でも何かを諦められずに(どこに向かうことが良いのか分からないままに)頭をぐるぐるさせながら、自分の感覚に正直にただ動きました。


1学期の期末テストで自分なりに取り組めて結果が出たこと。

"わたし頑張ったよね〜"

と、はにかんだ笑顔で伝えて来た時にはハグをして背中を撫でました。

去年の1年間で私よりも背が高くなった娘ですが、寄りかかってくる様子は小さい子みたいでした。

新しいことを知る。
入ってきたものを、自分の価値観や知識に照らし合わせて、そして自分の納得した形で自身の中におさめていくこと。

きっと、それは表には見えにくい彼女の表現であって、喜びなんだろうな…と。

今回の流れから、私の中では一層確信を帯びた仮説になりました。

あんなにも急に、体が自由に動かなくなって混乱していたけれど。

ノートを広げて、シャーペンを持ったまま1時間ほとんど何も書けていなかった。
涙だけぽたぽた落ちていた。

そんな文字も書けなくなっていたような状態から、やっと彼女が本来の自分を取り戻せてきたように見えました。
目に光があって、表情に感情が伴うようになりました。


そして、以前と比べて、彼女の周りの友人たちの層が少し変化をしました。

"誰にでも優しくありたいし、公平でありたい。"
それはずっと前から、娘のテーマであるかのように娘の中にあり続けていました。

そっとよりそえたり、それは違うと感じた時には見過ごさずに、(じゃあ、自分はなにができるかな、どう在れるかな…)を自然と考える傾向がある子でしたが、それが自分を苦しくさせている部分だとも気付いたようです。

…でも、わたしは彼女のそんな部分をとてもすてきだと思ってきたので、それを無くして欲しいだとかは全く思いません。
彼女の大事な成長の通過点であり、根本までも変化させる必要があるとは思っていません。

今の自分の形と、理想の形のズレだったり、そもそも自分の考え方が間違いなのかもしれないと葛藤をしているようでした。


今は本当に彼女が大切にしたいと思う人たちであり、彼女をとても大切にしてくれる人たちのコミュニティの中に、彼女は居るようです。

わたしも、彼女も、
学校での人間関係にほぼ不安を感じていない状態になっています。

それは、開き直りが加わって図太く進化したのかもしれませんが…


わたしに関しては、
"波風たてず穏やかにうまくやっていく事"
だけを求めていた自分の歪みに氣付いたからかもしれません。
そして、表面だけ取り繕い続けていた事。

でも、まだしっかり歪んだままだと思います。
変化が必要だと思いつつ、結局頑なです。


* また学校の話になります。
学校の関係者の方にとっては失礼な文章であるかもしれません。
あくまで、わたしとそのカウンセラーさんや担任の先生との個人としてのやりとりであり、その立場の方全てをそのように捉えているわけではありません。
わたしの主観で感じたことを綴っただけのものです。

中学校の先生たちとも、最終的にはスクールカウンセラーの方とも、こちらの思いを伝え切るまで対話を続けました。

昨年の春の初めての面談で、
"もう2度とこの人と話をする必要はない"
と感じていたスクールカウンセラーさんに、校長先生や学年主任、担任の先生同席のもと、もう一度会い、そして謝罪をしてもらいました。
2月のことです。
(夫には事後報告をして、、"出すぎだ"と叱られました。大きなため息を聞きました。)

「今年度の最後に、スクールカウンセラーの方と話をしたいです。お忙しい中申し訳ないのですがお願いします。」

と、学年主任の先生に伝え、日程はすぐに決まりました。

「私も同席させていただいてもいいですか?」

そう尋ねてくれた校長先生は、先生方の少し後ろの席で、わたしの話を終始頷きながら聞いてくれていました。


昨年6月の面談時の話を、わたしは半年以上経ったその時に、場に持ちだしました。

あの時に感じた憤りも、学校に対して生じた大きな不信感も自分の言葉で伝えました。

スクールカウンセラーさんからは、

「誤解を生む様な言動をしてしまい本当に申し訳なかったと思っています。」

と言葉がありました。

(今日はこのように言おう)
と、用意をされていた印象を受けました。

それを聞いて内心、

(誤解じゃない、ごまかさないで。
あなたの言葉から、尊重のきもちや人権意識が足りてないとそう感じたんだよ。)

わたしはそう思ったけれど。


でも、校長先生の前で、あの時に彼が発した言葉を、彼自身に聞かせることができてよかった。

(あなたはこのように発言したんだよ。
そこにどんな氣持ちが乗っかっていましたか?)

もうわざわざ言葉にはしなかったけれど、わたしのこの感覚は彼に伝わったんだろうか。


担任の先生は、

「私の初動や認識がよくなかったと思っています。
もっと考えてあげられたらよかったと反省しています。
3学期になってなつきさんが頑張って学校に来てくれるようになって本当に嬉しく思っています。」

と言われていました。

ここでもまだ、

(学校にいくのに頑張らないといけないのなら、それは "よかった" と言えないんじゃないですか?
"頑張り" を言うなら、家にいた時間の方が彼女はより頑張っていたんじゃないかとわたしは思っています。)

とか。
そんな思いがポコポコと湧いてきたけれど。

いつまでもそれを繰り返すのはさすがに良くないので、先生たちが娘を理解しようとしてくれてありがたかったという事だけを伝えました。


ひとつも心を偽らずに、わたしの心にあることだけをその場で伝えられた事、先生たちがそれを聴いてくださった事、時間を割いてくださった事。
それは本心から、本当にありがたかったです。

その時のわたしの行動は、復讐という醜いものだったのかもしれないです。

その醜さのベールは私だけじゃなく娘にも覆い被さるかもしれない。
そう考えなかったわけではないです。
でも、

「私が学校という組織をもう1度信じたいと思う時に、どうしてもここに触れないままでは氣持ちの上で新年度に進めないんです。」

その部分も学校側に伝えました。


「ここから先は全部娘に任せます。
どのように過ごすのか、娘に選ばせようと思います。
自分で考えて選んで、あとで言い訳は無いように。

私たち(夫と私)との面談に先生方の時間を割いて頂くのは他の生徒さんに申し訳ないので、(先生の時間は生徒みんなの為に使ってもらった方がいいので。)
2年生になって娘が登校するにしても、違うやり方で学んでいくにしても、月1回の話し合いは今回で最後にしていただいて結構です。」


夫と一緒に行った3月の面談時に、学校側にはそう伝えました。
それは、娘にも伝えていたことです。

その時にはわたしも夫も、本心から、

"学校に通うことを続けてもいいし、学校以外の学習の仕方を選んでも、もうどちらでもいい。
娘が選ぶものを支持して、その中で彼女の可能性を信じて一緒に考えていけばいい。"

と思っていました。
(でも、わたしにとってその意思を長続きさせることはとても難しい事だと、本当は分かっていました。)


前後しますが、2月末に娘がわたしと夫宛に手紙をくれました。

長い手紙には、

"お父さんとお母さんには心配をかけたけど、もう大丈夫。
今は先生たちに感謝しかないです。"

そんな言葉がありました。

実際、昨年の1年間、
娘のことは、当初の
"担任の先生と、学年主任の先生と、スクールカウンセラー"
だけの関わりを超えて…
もっとたくさんの先生たちの協力や提案をいただく形で(娘をよく知る保護者の方たちも氣にかけてくださり娘を信じて温かく見守ってくれました)、だんだんと理解を深め、歩み寄り、娘の氣持ちを聴こうとする姿勢をこちらに示してくださるようになっていきました。



入学してすぐの頃、学年の中で抑えを効かせる立場の男性の先生が(他の先生数人や担任の先生にも同じような傾向が見られました)、数人の男の子たち(娘と同じ小学校出身)を目の敵にしてひどく叱ること。

"おまえら、〇〇小のやつばっかりだな。"

と言う先生の言葉に、他の小学校出身の子たちが笑ったり便乗してばかにするような声をかけること。
先生もそれを容認しているように見えること。

(まだ出会って間がないのに。
相手のいいところが今は見えていないだけなのに。
なんでそんな対応ができるの?

先生が言ってたんじゃないの?
"どこの小学校出身とか関係ない、あなたたちはこの〇〇中学校の生徒なんだからそんな線引きは必要ないものだ。みんな、〇〇中学校の生徒。その自覚を持ってほしい" って。)

そう感じて、どんどんクラスに居るのが苦しくなった。


そんな話を娘から聞いたのは、本格的に学校に行けなくなってしばらくしてからでした。

わたしが娘のその思いを聞いた後、担任の先生と主任の先生とわたし、3人での面談の機会がありました。

第一声に言われたことは、

「もしかしたら、A君の事で困ってるんじゃないですか?他の生徒さんもね、A君が落ちつきがないから嫌だっていう子がいるんですよ。」

なぜか半分笑った様子でした。

"あぁ。。娘が苦しい事のひとつはこの空氣なんだな。"
と、そう思いました。

娘が学校を休むようになり2ヶ月程経って、ZOOMでの授業参加が認められました。
またその後、校長先生との話し合いで、娘は家でのZOOM参加を登校扱いにしてもらえるようになりました。

クラスでのタブレット設置や、移動教室の時にタブレットを持って行ってくれる役割の人が必要だったのですが、
それをしてくれたのは、娘と仲のいい女の子たちとA君でした。

女の子たちと同様に、場合によってはそれ以上に、A君はよく娘を氣にかけてくれていました。

たまに、わたしがリビングにいる時に隣の娘の部屋からクスクス笑い声が聞こえてくると、

「Aがめちゃ笑かしてくる。」

だいたいそのパターンでした。
娘は画像も音声もOFFにしていたのですが、それでも呼びかけてくれる子が何人もいました。
女の子も男の子も。
その中でもやっぱりA君の割合が多かったみたいでした。

その後の先生との面談で、

「なつきさんとの関わりで、A君の意外な一面が見えています。」

と、言葉がありましたが、わたしにはそれはA君らしい一面でした。


「中学校がね、思っていた感じと違う…。」

それは4月の時点で娘の口から出ていたけれど、わたしは、大なり小なりそんな感覚はみんなあるだろうと思ってしまっていました。

"あんまり大げさに捉えずに新しい同級生や新しい先生たちに馴染んでほしいな。
葛藤や挫折や、いろんな事がありながら逞しくなるんだろうから。
この子は氣持ちの部分で線が細いようなところがあるから、やっぱり新しい環境は緊張するし自分の表現もうまく出来ていないんじゃないかな。
心根はほんと優しいけど、表現が稚拙でちょっと分かりにくいところあるもんな…。"

娘の初期の落ち込みを、そんな風にしか捉えていませんでした。


クラスの中での違和感や、招待されて参加していた大人数の同級生たちのグループLINEの中で心無い言葉が飛び交うことに心を痛めていた事。

"楽しい話題の時ももちろんあるんだけど、そのグループに参加していない子の事が話題にのぼるとだいたい変な方向になっていくのが嫌…。"

自分はそんな発言に乗らない、目に余るときにはできるだけさりげなく退出をする。
でもまた別のグループが出来た時には友だちから招待がかかる…。

1度、娘が1人で担任の先生に相談をした時は 
「LINEの中までは先生も口出しできないから…」との答え。

でも結局、娘が退出したしばらく後に、揶揄われていた子の保護者から"問題が起こっている"と訴えがあり(悪質な個人情報の流出)。
先生たちが他校にも呼びかけないといけないような状況になりました。

そのグループLINEに一時でも参加していた生徒の家にそれぞれ担任の先生から事情説明と注意喚起の電話がありました。50軒ほどです。

「なつきさんが心配されていた様な事になってしまいました…」

と歯切れが悪そうに担任の先生から話があり、

「もちろんなつきさんがその件に全く関わっていないのはわかっていますから。一応、説明だけ保護者の方に順番に連絡させてもらってるんです。」

と。そう言われてもわたしは、
「そうですか、分かりました。ご連絡ありがとうございました。」
としか返す言葉がなかったです。

だって。
なんだか様子がおかしくなってポツポツと学校を休み始めた頃、

"学校を休む直接の理由ではないと思っていますが…娘の話からLINEの事で少し氣にかかることがあるんです。娘も1度先生に話を聞いてもらった事があると言っていたのですが。"

と、わたしも担任の先生に電話で相談した時には、

「なつきさんは色々と周りのことを考えすぎるところがありますからね。優しすぎるんでしょうね。お母さん、なつきさんの性格からするとスマホを持たせるのは早すぎたかもしれませんね。
こちらも携帯の中で表に見えない部分は指導の仕様がありません。」

のお返事でしたから。



*娘が元氣になった今。過去のことを掘り返して何がしたいのかな…と、自分でも謎なのですが。
でも何かを書き留めたくてポツポツと残しました。
まだ残る思いがあるので、ねちねちとしてしまうかもしれませんが…続きを書きたいと思います。

長々とした文を、読んでいただきありがとうございました🙏💦


⭐️erinoguchiさんのすてきな絵をお借りしました。
ありがとうございます。

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