見出し画像

人形供養をしてみた

飽きた。

 同じ部屋の片づけを延々と行っている。汗が滝のように流れ、悪臭と暑さと戦いながらだ。もう何日部屋の片づけを行っただろうか。

 片付けによって部屋に変化が表れているが、微々なる変化である。

 そんなこんなで、部屋の片づけ飽きたのだ。

気分を変える

 そりゃ同じ部屋を片付けしていたら飽きる。毎日同じ食べ物を食べたら飽きるように、同じ部屋は飽きる(そもそも私が飽きっぽい性格をしているからなのだが)。

 なので今回は気分を変えて、何故か家にたくさんある人形を片付けることにした。

古い家あるある「人形が沢山ある」

 私が物心ついた頃から沢山の人形が家に飾ってあった。いつからそこにあるのか分からない。飾るために棚があり、日本人形や洋人形、お土産で買ったであろう特産品の人形、こけし、サルの置き物…等が無造作に飾られて(置かれて)いた。

 こんなに人形って必要か?と思えるくらい人形が沢山。なぜ古い家は人形が多いのだろう。つい旅行先やお店で買って増えたのだろうか。大掃除しても人形は滅多に捨てることがないのも要因の一つだろう。

 子供の頃から今まで、これらの人形に触れたことはなかった。だが片付けするためには手に取らないといけない。

 私は一体ずつ、不用な人形を入れる段ボール箱に詰めていった。

触れない人形

 数々の人形を箱に詰めていく中、3体だけ触れない人形がいた。物理的には触れるのだろうが、精神的に手を伸ばすことを憚られる。シンプルに「嫌な感じ」と表現したほうが良いだろうか。触れないのだ。

 人形には魂が宿ると言われているが、この物理的に豊かなご時世、人形などとんでもない量を生産されている。それら一体一体に魂が宿ったら大変だろう。なので、全て人形=魂が宿っているぜ☆という考えは持っていない。

 だが、この3体の人形は不思議なことに触ることが出来ないのだ。

供養だ供養。

 日本には古くから人形供養という文化がある。古くから続いているということは、やはり必要とされ続けているということなのだろう。この不思議な3体を変に処分して災いなんてことになったら困る。私にはまだこの家を片付けて修繕しないといけないのだ。こんなことで躓いてたまるものか。

 さっそく私はインターネットで人形供養をしている神社か寺を検索した。なんと市内に供養をしてくれる寺があるではないか。インターネットで詳細も書いてある。まったくもって便利な世の中である。

 電話にて予約を取り、待ちに待った供養の日。予約した時間に間に合うように出発。ちなみに人形は私が触れないので母に段ボールに入れてもらった。ついでに何も触れていないのに勝手に落ちて壊れたダルマも持っていくことに。

 寺についた私は、どこから「こんにちはー!」すれば良いのか分からず若干ウロウロしてしまった。神社はよく行くが寺は法事や葬式くらいしか行かない。お墓参りも直接自分の家の墓に直行するため、今回のように寺に訪ねることが初めてだったのだ。そのため、普通に寺と繋がっている住居のチャイムを鳴らせばいいと初めて知った。まだまだ知らないことばかりである。用事があり寺を訪ねたら住居のチャイムを鳴らすのを知ることができ、また一つ賢くなった。

 供養は普通にお経を読んで焼香し、説法を聞いて終了。人形も人も、基本は同じ「供養」なのであまり変わらないのだなという感想。これで安心して処分することが出来る。ありがたい。

安心して人形を処分するために

 汚部屋、汚家の片づけをしていると古い人形の遭遇率は高いと思う。自分で手に入れた人形ならまだしも、それが既に亡くなった人が手に入れた人形だと薄気味悪いと感じる人もいるのではないだろうか。

 魂が入る云々というが、魂が入っていようが無かろうが一度供養をしてもらうと気持ち的に楽になる。安心を得ることが出来る。

 人形供養を専門とした神社やお寺もあるが、最寄りで供養をしてもらえる場所があるのなら持っていくと良いと思う。

 私は今回、人形供養を行ってスッキリした。


余談「謎の玉」

 祖母が今までに行った観光地で買ったであろう日本各地のお土産やで売っていそうな置き物や人形、6~7体くらい出てくるこけし、どうやって手に入れたのか分からないお土産っぽくない人形。

 主に人形や置き物で溢れていた棚に、不釣り合いな摩訶不思議な物が隠されていた。

 5センチくらいのプラスチックに入った玉。同時に、「摘出しましたよ」という場面を収めたかのような写真が出てきたのだ。

 なんだこれは。明らかに人体の中から出てきた雰囲気がプンプンである。なぜこんなものがここにあるのだ。百歩譲ってへその緒とかなら解る。へその緒は誕生の記念、なんとなく大切な物だと思う。母親の立場なら、自らの子をこの世に産み落としたたった一つの非売品で特別な思い入れがあるのだろうと想像がつく。

 しかし私の目の前には、人体から出てきたであろう謎の玉が鎮座しているのだ。

 処分はするのだが、これは何なのかは一応知りたい。母に確認をとってみることにした。

 その結果、謎の玉の正体は祖母の胆石であることが判明。


 あの…、なぜ胆石を取っておくのですか…。なんの記念ですか…。もう容赦無く捨てます。亡き祖母の胆石を取っていてもご利益はないだろう。なんなのか分からない正体不明の物体を目にして恐々としていた私だが、胆石と分かった途端、「胆石かよ!」とシンプルに突っ込みを入れずにはいられなかった。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?