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破傷風に震えた21日間

私の悪い癖

 天井を直していたある日のこと。天井を見上げて、ああでもないこうでもないと考え事をしていた。床には散らばった古い天井板。取り外し、新しい天井板を長さを揃えて切り、天井に打ち付けていく。効率の良い方法は無いものか、と考えていたのだ。

 私の悪い癖なのだが、思考が優先されるとその他が疎かになりがちになる。考え事をして電柱にぶつかったことがあるが、もう数えきれないぶつかった。また、デスク系の作業をしつつお茶を淹れたりコーヒーを入れてしまうとつい作業のことを考えながらになるので、よく溢していた。他にも作業してふとトイレに行きたくなり席を立つが、作業中のアレコレを考えながら向かうのでドアに肩腕をぶつけていた。

 ええ。足にいつ作ったか分からない青タンが存在するのは日常茶飯事である。

 こんな悪い癖を長年続けてきたわけだが、今回はこの悪い癖のせいでシャレにならないことになった。


釘踏んじゃった

  釘を踏んでしまった。天井を見上げて足元をよく見ていなかったのと、考え事をしながらだったのが原因だろう。靴を抜けて私の足の裏に釘が貫通し、ああでもないこうでもないと考えていた思考は一転し「いっっっっっったっっっっった!!!!!!!」と痛覚のみを感じていた。

 靴を脱いでみるとどんどんと血に染まる靴下。血が止まらない。しかし釘なので傷口自体は小さいものだ。だが表面上はミリ単位の傷だが、深さはセンチに達していた。


脳裏をよぎる、ある病気

 血が止まらなかったため、とりあえず止血しなくてはと傷口を押さえた。痛みと同時に私の脳裏にはある病気が浮かんでいた。

 それは破傷風である。

 破傷風とは、破傷風菌に侵され痙攣や呼吸困難を呈し、高い死亡率をもつ病気。医学的な知識は無くとも、昔の恐怖を煽る健康番組や衝撃体験番組などで取り上げられることもあるため、知っている人は知っているだろう。

 破傷風菌は日常のあらゆるところに存在しており、傷口から体内に侵入し人体に牙をむく。破傷風菌は酸素のあるところが苦手なため、空気に触れているところにはいないらしい。そのため土の中等に潜んでいる。

 つまり、ずっと長い間木に打ち付けられていた釘周辺は空気が触れていないため、彼らの過ごしやすい住処となるのだ。そして、私が踏んだのは運悪く天井から外した古い釘だった。


速攻、病院へ

 私が踏んだのは古い釘。しかも傷口は深い。素人の私では傷の奥まで消毒は出来ない。とはいえこのまま放置は出来ない。破傷風の症状を事前に知っていた私は、痙攣を起こしながら自らの痙攣で背骨が折れ死にゆく自分の姿を想像し恐怖した。

 うじうじしていてもしょうがない。病院に行くしかない。痛む足に耐え、整形外科の病院へ向かった。

 どの病院もそうだが、受付ではまず「今日はどうされましたか?」と尋ねられる。来院した理由を答えると、受付の人の顔色が変わる。そりゃそうだ。

 初診用の紙を書きつつ、診察を待つ。待合室には多くのお年を召された方々が沢山いた。通院仲間なのだろうか、それぞれ会話を楽しんでいる。そんな中で一番年齢が若い私は居心地の悪さと痛みと病気の恐怖とで居ても立っても居られない気持ちになった。


一番痛かったのは

 どのくらい時間が過ぎただろうか。気を紛らわすため、待合室の壁に貼ってある「ロコモを防いでイキイキ生きよう!」的な啓発ポスターを眺めていたところで私の名前が呼ばれる。

 釘を踏んだことは既に伝えてあったのだろう。診察室より先に処置室へ通された。颯爽と現れた医師は慣れた手つきで私の足裏を見て一言。「じゃあ消毒しようか」。

 はい。消毒は必須だと思っていました。しかし一体どのように消毒するのだろう?とハテナマークを浮かべる私の目の前に現れたのは細い綿棒だった。

 ああ、なるほどね。その綿棒に消毒液塗って突っ込むのか。と呑気に状況を遠目で見ている私と、いやいや絶対痛いやつじゃん!!!!とこれから体験する痛みに恐れおののく私が心の中で騒いでいた。

 しかし心の中が騒いでいようが消毒せなばならない。

「いでででででででででででででで!!!!!!!!!!!!!」

 生憎、私は「キャー」なんて悲鳴を出す人間ではない。これが素の私である。

 無事に処置が終わったが、痛みで茫然としそれどころじゃない。間違いなく今年一番痛かった。

 処置が終わり、化膿止めの塗り薬を貰い帰宅。これで一安心…とならないのがこの病気だ。


恐怖に震える21日間

 なんとこの病気、潜伏期間が3日から21日間と長いのだ。なぜならばこの菌は空気に触れていると元気がないが、空気がないところだと活発になる。つまり、傷が塞がり体内に残った菌が、周りに空気がない状態で元気になる。時間差攻撃である。

 処置をして数日間は傷の痛みがジクジクとしていたが、数日経ってから傷が塞がっていく様子を見るのも恐怖。

 また、処置中に医師が小声で「これで大丈夫かな…」と言っていたのがさらに恐怖を掻き立てた。

 発症の恐怖に震える21日間はとても長いものだった。過去に映画「震える舌」を観てみたいと思っていたのだが、観なくて良かった。たぶん見ていたらこの21日間、恐怖に震えて眠れなくなっていただろう。


21日後

 私は無事だった。発症せずに済んだ。これほど命が惜しいと感じたことは久しぶりだ。

 今回の経験を通して言えることは破傷風の予防接種は受けたほうが良いということだ。私は小さい頃に予防接種を受けたが、これは十数年で効果が無くなるのだそう。そのため、30代40代と年齢が高くなるにつれて、破傷風発症リスクは高くなるのではなかろうか。

 また、実家の片づけや修繕問題が生じるのは、多くの場合親が歳を取り自分も中年以上の年齢になってからだろう。その頃にはもう破傷風のワクチンの効果はとっく消えているかもしれない。その状態で実家の片づけや修繕を行っては危険が伴う。

 今回の私の体験も、危険なものだった。そもそも釘を踏んでいる時点で事故でケガだ。幸い破傷風にかからなかったが、あの21日間は生きた心地がしなかった。

 皆さんも実家がゴミ屋敷になって自分で片付けを行う際には、ぜひとも破傷風の予防接種を受けてみてはいかがだろうか。

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