石垣りん「木のイメージ」を読む

台風による大雨洪水で
家が押し流され
たくさんの人が死ぬと
山の乱伐がたたったのだと言われる。
経済成長が山野の荒廃をもたらしていると。

戦後三十八年たって私の一DKは
増え続ける印刷物の攻勢に
布団の四隅も浮き上がるほどになった。
来る日も来る日も寄せてくる
郵便物雑誌詩歌集。

それは私が敗戦後の造成地のような領域で
詩を書いてきたこと
紙を使って何冊かの本を出したことに由来する。
私は活字に流されながら溺れながら
そうだ木を植えてこなかった、と叫ぶ。

山に木を植えましょう!
叫びながら濁流に呑まれた。

 語り手は、職業が詩人であるため、印刷物に囲まれる生活を送ってきた。しかし、木の乱伐による山野の荒廃が、台風の際には洪水を起こすという。木を原料とする紙を使って書物を出版してきた語り手は、その報いを受けて、活字の濁流に呑まれてしまう……というのがこの詩の内容である。この詩を読む際に必要なのは、作中に登場する活字の濁流という架空の災害が、台風によって生じる濁流と重ねられているという事実に気づくことである。
 さて、この詩のテーマは、書物に携わる職業の罪悪、というものであろう。語り手(これは作者自身であると考えて良い)の自責の念が詩の形を取ったのが、この作品なのだ。
 少し話は変わるが、石垣りんの詩には、まるでホラー小説のように、読者に恐怖感を与える作品が多い。それは、彼女の詩のスタイルとして、一見何の変哲もない日常の裏に隠された、抜き差しならない厳しい現実に注目するという特徴があるからだろう。それは、時に、差し迫る危機を前にして、世の中に警鐘を鳴らすという形を取り得る。この詩も、木を植えなかったことへの報いを受けているのは石垣りん自身だが、環境破壊の恐ろしさについて、広く世間に警鐘を鳴らす作品だと言える。

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