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山田詠美「LOVE 4 SALE」について —極端さの美学—

 今回は、山田詠美『タイニーストーリーズ』所収の「LOVE 4 SALE」という小説について書く。この小説の主人公は、非常にいびつな個性を持った女性である。これから、作品の内容について記すが、そのことを念頭に置いておいてほしい。

 語り手の「あたし」こと、根本蜜子は、「お金では買えないもの」、もしくは「お金に換えられないもの」を手に入れるために、金持ちになるという夢を抱いていた。これは一見、あべこべなようだが、「世の中にはお金よりも尊いものがある」と主張する人間は、皆、金持ちであることから、彼女は、金持ちになれば自分も同じ主張ができると考えたのだ。金を稼ぐために、蜜子は夜の仕事を転々とする。その結果、徐々に金持ちになった彼女は、ある日、一人の青年が自殺しようとしている現場に出くわす。その現場であるマンションは彼女の所有物であった(彼女の自室もそこにあった)ため、それを見過ごすと面倒なことになると思った蜜子は、慌てて彼を止める。彼は、自分は鮎川正吾という名前で、借金取りに命を狙われているのだと打ち明けた。蜜子は、憐れみを与えるための対象を逃すなんて惜しいと思い(金持ちになって他人に憐れみを垂れるのは、彼女の夢の一つだった)、彼を自宅に匿い、恋仲になる。正吾を世話することに次第に充足感を覚えるようになった蜜子は、借金取りに追われているため金が必要だと言う彼に、二百万円を手渡す。その瞬間、彼女は解放感を感じる。やがて、彼女は働いて稼ぐ時間よりも正吾と過ごす時間の方が大切だと感じるようになり、仕事を休むようになる。その頃、彼は、また借金取りが自分を狙い始めた、と蜜子に訴え、金をせびっていた。百万、二百万、三百万……、と渡していったが、ある日、正吾は「やっぱり死ぬことにした」という書き置きを残して彼女の前から消えた。もう手元に金がないことに気付いた蜜子は、なんとか正吾を助けるため、マンションや持ち物を売って金に換えようと考える。そう考えた瞬間、壁に掛かっている正吾の作業着が、彼女の眼に留まった。その作業着に染み付いた匂い。それこそが、彼女が夢見た「お金に換えられないもの」ではなかったか。「もったいない」。彼女は初めて、金以外のものにこの言葉を与えた。

 この小説の中で、蜜子が気付いていない事実が一つある。それは、おそらく正吾は、実は借金取りに追われてなどいない、ということである。彼はきっと、蜜子にたかるために、彼女に近づいたのだろう。「やっぱり死ぬことにした」というのも、まるきりの嘘で、蜜子を捨てるための口実であったと考えられる。そして、私は、蜜子は自分が騙されていたという事実に、最後まで気付いていなかったと解釈する。このことを前提として、話を進めていきたい。
 さて、この小説をよく読むと、蜜子の行動には、不可解なところがあることが分かる。それは、彼女が恋人の鮎川正吾を見捨てて、彼の作業着に染み付いた彼の匂いを守る方を選んでいる点だ。普通の人間ならば、恋人が愛しいのであれば、恋人本人を守ることを何よりも優先する。尤も、この小説の場合は、おそらく鮎川正吾は死ぬつもりなどはなくて、彼は蜜子から逃げたのだと思われる。しかし、蜜子の方は正吾の、「やっぱり死ぬことにした」という嘘を信じているわけだから、彼女の、正吾に対する「裏切り」は立派に成立しているのである。したがって、恋人本人を捨てても、恋人の匂いの染みついた作業着を守ることを選んだ蜜子の感覚は、常人とはズレているのだということが指摘できる。
 では、蜜子のズレた行動は、果たして彼女のどんな性質に起因しているのだろうか。それは、「自分にとって重要なものを徹底的に優先する」という性質であると、私は考える。この性質は、まず、作品の前半において、金銭面で利益をとことん追求する、という形で顕れる。つまり、俗に言う「締まり屋」のような行動パターンが、前半部分のどこを切り取っても、見受けられる。例えば、「一回寝るのにそれだけなんて馬鹿みたいだ」(山田詠美『タイニーストーリーズ』文春文庫、p,173)とか、「夜の商売の方が、ずっと効率が良い」(同書、p,173)、など、彼女の語りの全てに、自分にとって重要なもの、つまり金銭を、何を置いても優先する思考回路が反映されている。
 そんな蜜子が正吾に恋をする場面を読むと、まるで彼女の性質が変化してしまったかのように、一見、思われる。彼女は「締まり屋」ではなくなってしまい、彼のために、金を湯水のように手放していく。しかし、私は、「自分にとって重要なものをとことん優先する」という点においては、彼女は全く変わっていないと考える。確かに、彼女の価値基準そのものは変わってしまった。彼女は金ではなくて、自分の幸福感に価値を置くようになった。しかし、重要なものが金から幸福に代わっただけで、本質的には、「自分にとって重要なものを最優先する」という姿勢は変化していないと考えられる。幸福感のためなら、金を湯水のように捨てても平気なところに、その姿勢は顕れている。
 彼女が自分の幸福を重視する、その極めつけが、「お金では買えないもの」(恋人の作業着に染み付いた匂い)を見つけた瞬間である。先ほど説明したように、ここで蜜子は、正吾本人よりもこの「お金では買えないもの」を優先するようになる。ここにも、大切な物以外は全て切り捨ててしまう、という蜜子の性質がよく顕れている。もちろん、正吾が目の前にいたら、彼女は彼を愛しただろう。しかし、実際には彼は彼女の前には居らず、彼女が「お金には換えられないもの」として「発見」したのは、彼の作業着の匂いだった。それを「発見」した瞬間、彼女にとって、恋人と一緒に暮らした思い出こそが至上の価値を持つものになり、現実の恋人の存在を上回ってしまったのだ。なぜなら、彼女の性質は、「自分にとって重要なものをとことん優先する」というものであり、「至上の価値を持つものを大切にして、それ以外を切り捨てる」というのが、その具体的な方法だからだ。
 このように、彼女は、「自分の重要なものをとことん優先して」いる。彼女は、その姿勢を徹底するあまり、どこか突き抜けてしまい、常人には考えられない奇天烈な発想をするようになったのだと、私は考える。それが、私が最初に述べた、「いびつな個性」という言葉の意味である。
 この小説は、次のような文章で結ばれる。

  共に暮らした年月は、およそ一年。費やしたお金は、一千万超。あたしは、それだけの寿命を、それだけの金額で買ったのです。大安売りでした。(同書、p,185)

 この文章にあるように、男と一年暮らすのに一千万超の金を費やして、「大安売り」などと言っているのも、蜜子がいびつな個性の持ち主であることを証明している。
 しかしまた、こうも考えられないだろうか。蜜子とは違い、物事のバランスを保って生きている普通の人間は、皆、「中途半端」な生き方をしていると。「中途半端」であることよりも、何かを「極めている」ことの方が上等な生き方であるというのは、世の中の常識である。したがって、蜜子の生き方は、我々のそれよりも、上等であると、私は思うのだ。
 このように、蜜子の生き方は、一見いびつに感じられるけれども、その実、我々普通の人間の生き方よりも優れていると言うことができる。
 なお、蜜子は作品の中で、正吾の自殺を止めようとして、「人の命は、何よりも大事なんだから。お金と引き替えになんかしちゃいけない」(同書、p,178)と叫んでいるが、この言葉の内容を、蜜子は全く信じていなかったと、私は解釈する。この時蜜子はまだ、お金が何よりも大事であると思っていたが、正吾に自殺されると面倒なことになるため、あえて嘘を言ったのである。



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