見出し画像

山田詠美「微分積分」について —本質を見極める眼—

 今回は、山田詠美の『タイニーストーリーズ』所収の小説、「微分積分」について書く。
 この小説の語り手、順也は、普通の人間とは異なるものの見方をする人物である。順也は、周囲の人々とは馴染めない存在として、作中に登場する。彼は、勉強というものの存在に疑問を抱いているし、友達との会話も「下らない」と感じている。要するに、彼は異分子なのである。だが、異分子として描かれる人物など、多くの他の小説において既にたくさん登場している。この小説の読者には、そのような数多の異分子とは違う、順也特有の性質を発見することが求められている。
 そして、私はその「順也特有の性質」を見つけた。順也の異質な点とは、微分積分を解いているホームレスを、「強者」の象徴として見ている点である。
 順也が、ホームレスを「強者」として見ていることは、作品の結末部分から明らかになる。ホームレスが微分積分の方程式を、赤のマジックでカレンダーの紙の裏に一心に書き付けていたのを見た、という話を、順也は父から聞く。順也は、その夜、兄に赤のマジックとカレンダーを手渡す。そして、カレンダーの裏側を指さして、「ここに微分積分を解いたのを書いてくれ」と頼む。

  兄は、床に座り込み、カレンダーの裏側に、どんどん方程式を解き進めて行った。ぼくの頭の中のどこを捜しても欠片もない、数字と記号の群れだ。それらの赤が白紙を侵略して行く様を、ぼくは凝視していた。胸の動悸が急激に速くなる。これ、おまえには解んないとは思うけど、と兄が笑う。鼓動に、今、加速度がついた。(山田詠美『タイニーストーリーズ』文春文庫、p,154)

 これがこの小説の末尾である。ここで我々読者が気をつけるべき点は、順也が兄に微分積分を解いてくれ、と頼んだ理由を間違えないようにすることだ。彼が、兄に解いてくれと頼んだのは、決して、ホームレスと兄を重ねて、兄もその内落ちぶれるだろう、と一人ほくそ笑むためではないのである。
 確かに、ホームレスの筆記具も、順也が兄に手渡したそれも、赤のマジックである。カレンダーの裏側に書く、という点も同じだ。だから、ここで順也は兄にホームレスの再現をさせているわけである。しかし、それは、決して、兄の零落を予想してそうさせたのではない。むしろ、微分積分が解ける「強者」としての兄を意識して、この兄が代表している「強者」が支配する世界で、自分はその「強者」に対抗して生きていこう、という決意を固めているのである。ここで、数学の問題が解ける「強者」としての兄は、ホームレスと重ねられている。つまり、ホームレスは「強者」の象徴として、順也に認識されているのである。
 この、ホームレスを「強者」として認識する、というのは、順也特有の異質な点であると、私は考える。普通の人は、ホームレスと言ったら「落ちぶれた人間」としてしか認識しない。たとえ、そのホームレスが微分積分を解いていても、周囲は彼を「弱者」として認識する、というのが普通である。実際、順也の父も、そのホームレスについて、

  どこで人生狂ったのかは知らないけど、あれは、完全に頭がいかれちゃってたね。それなのに、昔取った杵柄だけが残ってるってのがなんとも哀しいね(同書、p,144)

 と感想を漏らしている。このように、ホームレスを「落ちぶれた人間」、つまり「弱者」として見る、というのが普通の発想である。
 しかし、順也はそうではない。彼は、常識的な考え方をする人間が「強者」、普通の考え方に馴染めない人間が「弱者」であると考えている。例のホームレスは、微分積分を解いていたことから、「勉強することは正しいことだ」という考えを信じて疑わなかった人間、すなわち常識的な発想をする、この世の「強者」であるというのが、順也の考え方だ。たとえ落ちぶれても、カレンダーの裏側に一生懸命微分積分を解いていることから、未だに常識にしがみついている人間であることが分かる。だから、順也は彼を、たとえホームレスであっても「強者」であると判断したのだ。
 このように、順也は、表層に惑わされずに本質を見極めることのできる、優れた素質を持っていることが分かる。ホームレスを「強者」であると考える発想の元となっているこの資質は、彼特有の性質であると思われる。


  






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?