北原白秋「金」を読む
貧シサニ金ヲ借リ、
ソノ金ガ返サレズ。
キノフモケフモ、ソノ金ガ
燦然ト天ニ光ル。
詩人とは、この世に存在しているのに、誰にも注目されないものの存在を掬い上げる職業である。そのことは、例えば、北原白秋の『金」を読めば分かる。
ここに金を返せない人物Aがいる。普通の人は、Aの苦しみにしか目を向けない。しかし、詩人は、Aの側で「燦然ト天ニ光ル」金の輝きに注目するのである。
もちろん、ここに、返せない金が輝いているという状況への皮肉や、人間の苦しみなどそっちのけにして鎮座している金の美しさ、といった事柄を読み取ることも、十分に可能である。しかし、最も重要なのは、それらの根本に存在する、作者の「視線の移動」であろう。「視線の移動」とはつまり、Aの苦しみではなく金の輝きに目を向ける、読者の意表を突くような発想力である。詩人の視線は、いつも、人々のそれとは外れたところにある。その目線の先には、誰にも注目されずにひそやかに息づくものの存在がある。この「金」においては、金貨の輝きが、それに当たる。
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