因習から抜け出そう! ——鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 鬼太郎の誕生の秘密がついに明らかに! 時は昭和三十一年、名家・龍賀家の当主・時貞が死去。銀行員の水木は、次男・克典が当主になるのを見届けるべく、へ赴いた。しかし当主となったのは病に伏せていたはずの長男・時麿であり、直後、時麿は無惨な死を遂げる。一族が戦く中捉えられたのは、妻を探して放浪していた鬼太郎の父だった……

 あらすじだけ見ると完全に横溝正史だし、展開もだいぶ横溝正史だった。連続殺人とか起きるし。
 人間業じゃないような殺人が起きるので、まあ怪異が絡んでいるのでしょうとミステリ的な趣は薄い……かと思いきや、話全体に謎解きの妙味があってよかったです。
 水木と鬼太郎父の目的が収斂してくる過程なんかもよくできていたし、そこからラストの盛り上げまでもうまい。
 ただ、それはそれとして救いがねえ。
 因習とそれに抗う側との対立なんだけど、シンプルに因習側が強くて容赦なくねじ伏せる感じがまたね……
 以下ネタバレ。






 救いなさすぎん??
 まず因習に押し込められた少女×怨念から生まれる妖怪って組み合わせがもう悲劇なんだよな。
 あと因習に押し込めるなんて一言じゃ済まないくらい、沙代の背負うものが重すぎる。そら憑代になりますよ。
 そういう事情込み込みで沙代=憑代は意外でもないですが、憑代の存在→沙代=憑代→沙代の境遇っていう情報開示の順番のせいで、視聴者はまたとない苦しみを味わうことになる。
 あと庚子の形相がえぐいタイミングで地鳴り?的なのが入るのも結構ミスリードとしてよいなと思いました。
 村全体が抱える業、水木の目的(Mという秘薬)、鬼太郎父の目的(幽霊族の妻の捜索)が重なる真相はよくできてるし、そこから派生した子供たちの悲運がまた刺してくる。鬼太郎父が時弥に未来のことを語ったあのシーンが一番残酷で、「時弥は死んだし生きていたとしても鬼太郎父の語ったようにはならない」っていう無理ゲーなんですよね。そういう意味で言うと「都会に出たところで女は自由に生きられない」っていう沙代とも重なって、本当に哀れでならない。
 「未来を奪われた子供」と「その未来を生きる視聴者」っていう構図があるからこそ、救いのなさが際立ってます。
 ちなみにゲゲゲの鬼太郎の前提知識はほぼゼロで、途中まで「鬼太郎はこの村で何かがあって小さくなって、その妻が猫娘なんかなあ」みたいに思ってました。甘かった。

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