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言葉

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言葉にまつわるエトセトラです。
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失う寂しさ、出会えた喜び

出会うはずのなかった本。 そしてきっと出会うべくして出会った本。 『昨夜のカレー、明日のパン』は私にとって、そしてこれを偶然読んでいるあなたにとってそんな本かもしれない。 …とここまで書いてキーボードを打つ手を止めた時、かけっぱなしにしていたBGMがディズニー映画『リメンバー・ミー』の主題歌に切り替わった。出来過ぎている。どちらも逝ってしまった人を想いながら生きる人を描いた作品だから。 ♪リメンバー・ミー  忘れはしない  リメンバー・ミー  夢の中で  離れていてもい

時代を超えて「いいもの」が遺る理由−外山滋比古さんの訃報に寄せて

考えるのは面倒なことと思っている人が多いが、見方によってはこれほど、ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。 −『思考の整理学』あとがきより。 1.本棚にあった著者の生きた証 『思考の整理学』(1983)を著した外山滋比古さんが96歳でお亡くなりになりました。 この本のタイトルを一度は聞いたことのある方も、または実際に手に取ってみた方も多いのではないでしょうか。 訃報を聞き、私はすぐに本棚にあった『思考の整理学』を手に取りました。著者の外山さんの不在を実感できないままに

親愛なる清少納言さま

秋は夕暮れ。 わたしもそう思います。 秋の夕暮れはなんだってこんなに美しいのか。 夏の夕暮れの、暑さから徐々に解放される期待感とはまた別の、少し冴え冴えとした空気の中で、時とともに色とりどりに変化していく空の色に見とれるあの気持ち。 秋は夕暮れ。 千年の時を超えてなお、その言葉が受け継がれていることを知ったら、あなたはどんな反応をするでしょうか。それを知ったあなたの文章も読めたらいいのに。そんなことを思います。

正体

「期待と不安、どっちもあると思います」。 こんな言葉を今日、耳にした。 今の自分の中には、どちらがどのくらいあるだろう。 それはなぜだろう。 何を期待していて、 何を不安がっているのだろう。 それが少しでもわかると、すとんとする。 期待の正体も、不安の正体もわからなければ、残るのは違和感だけ。

指先で味わう言の葉

それは、いつもと違う時間、いつもと違う路線の電車に乗ったときのことだった。少し混んだ車内、座席は空いておらず、わたしはつり革につかまりながらぼんやりと周りを眺めていた。 ほとんどの人がスマホをいじったり、イヤホンで音楽を聴いたりしている中、わたしの目を奪ったのは真っ白な本。文字通り、真っ白な本。めくられるページは何のインクもついていない。よくよく見ると、ページにはインクの代わりに凹凸が刻まれていた。その凹凸の上を、本の持ち主である女性の指が軽やかにすべっていく。 点字の本

ギャップ「萌え」と「がっかり」の境目

ギャップ。普段メガネの人がコンタクトをしていたり、ビシッとスーツで決めている人がラフな服装をしていたりすると、感じるもの。 それに「萌える」=「いいな」と好印象を持つか、「がっかり」するかの境目はどこにあるのだろう? おそらく、その人に対する「こうあってほしい」という思いを、いい意味で裏切られたか否かなのだと思う。 「かわいい」でいてほしかった人が、「かわいい」に加えて「きれい」だとか「天然」だとか。この場合はギャップ「萌え」。 「かっこいい」でいてほしかった人が、「

回復魔法「ホイミ」のすゝめ

ここのところ、だいぶ疲れている。心身ともになかなかにしんどいなあと思う時もある。だから、少しずつセルフ「ホイミ」を実行している。 「ホイミ」とはドラクエに出てくる回復魔法。 最近具体的にやってみた「ホイミ」は、とにかく寝る、ひとダメソファに身をうずめる、何でもいいから1,000円分豪遊する。 ちなみに、1,000円分の豪遊は何をしたかというと、回転寿司で1,000円以内ですきなものを食べてきた。はたして「豪遊」と呼べるのか?というところだが、これがなかなか楽しい。 お

飛び立とう、国内外の「異国」へ

■映画「君の名は。」映画「君の名は。」を観たことのある人は少なくないだろう。直接観たことはなくとも、タイトルくらいは知っているのではないだろうか。「トウキョウ」で暮らす男子高校生と、「ド田舎」で暮らす女子高校生の、夢を通じた入れ替わりの物語。 エンディングがどうなるかは観てのお楽しみといったところだが、わたしの夢は、「海外留学」だけではなく、「君の名は。」のようないわば「国内留学」を通じて、より多くの人に実写版「君の名は。」の主人公になってもらうこと。そして、「ここ」以外の

ボーダーはどこからくる?

どこで見かけたのかは忘れたけれど、最近見たポスターの言葉がずっと頭にひっかかっている。曰く、 「社会の分断をなくす」 「社会の分断」。そもそも社会はそれほど分断されているのだろうか?いや、それ以前に「社会」とは何を指しているのだろうか? かつてこんなnoteを書いた。「大きな主語」は、必ずしも自分の本当に言いたいことを表現してはくれないというお話。 今回の「社会」だってそう。包含するものが多すぎる。主語としては重い。いや、重すぎて逆に軽い。 そして、「分断」。なるほ

泥のように眠る

どこの誰だろう、この表現を思いついたのは。 今日はとにかく泥のように眠っていた。 やろうと思っていたことはあったのだけれど、体が休息を求めていた。 昼過ぎに目が覚ますと、外はくもりだった。 あんなに雨の予報だったのに。 冷蔵庫から野菜ジュースとヨーグルト、イチジクを取り出してリビングへ。 イチジクは先日スーパーで奮発して買った。 イチジク、ぶどう、梨、柿。 秋の果物がわたしはことのほか好きだ。 食べ終えた後、またベッドにもぐりこむ。 少し空気が肌寒くて布団

秋雨の夜

冷えた夜の空気の中、雨がざあざあと降り注いでいる。 「秋雨(あきさめ)だ」 雨にまつわる言葉はなんだか美しい。 春雨、五月雨、夕立、時雨。 「ゲリラ豪雨」なんて言葉よりずっとずっと。

Less is More.

『少ないことは、豊かなこと』 建築家、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉。 マシンガントークの内容より、ぽつりとした一言の方が印象に残る。 例えばそんな経験はないだろうか。 わたしはどちらかというと言葉数が多い。 「理解してほしい」、「正確に表現したい」という気持ちが強いのだ。 けれどそれは、ときに逆効果になっている気もする。 そして、情報もより多く集めたがる。 大事なのは情報の量だけでなく、その質やどう活かすかでもあるのに。 まずは1週間、インプット

2つのMy day

 今日はどんな1日だったろうか。仕事を終えて開放感を感じている?それとも、何か緊張することや乗り気じゃないことがあって、ブルーだったりしている? ***  夕方過ぎまで私は暗澹たる気持ちだった。待ち合わせがあったのに、電車に遅れて結局間に合わなかった。準備にもたもたしていた自分が悪いのだけれど、駅のホームに向かうエレベーターに駆け込んできた人がいなければ、ちゃんと予定の電車に乗れたかもしれなかった。目的の駅に着いてからも待ち合わせ場所へ必死で走ったけれど、私の時計では間

贈る言葉

人生の節目節目で、メッセージを贈られることがあると思う。でもきっと大半は入学式・入社式や卒業式で大勢に向けて贈られるものだろう。 時には個人的に改まってメッセージを贈られることもある。私の場合は、大学を卒業したときに研究室の面々からいただいた色紙だったり、仕事でプロジェクトを終えたときにいただいた手紙だったり。 どれも特別で印象的なのだが、特に折に触れて思い出すメッセージがある。 ある職場を離れるとき、お世話になった方々にお礼のメールを送ったあとのこと。ひと