現代短歌集とコントのダブルパンチ 23/10/21
食らった…。
正確には、食おうとして食われた。
食うつもりだった文化という魚に食らわれた。
魚ってなんだ…?
具体的に言うと、キングオブコントを見た。朝は、現代短歌集の「桜前線開架宣言」を読み始めた。最初の意味不明な魚のたとえは、この大会を優勝したサルゴリラのネタからの引用です。ごめんなさい。
一度に食べられる文化量の限界を感じて、今はなんならちょっと胃もたれしている。今日これからもっと食べたい、とは決してならないところまで来た。
先に日記的なことを書くと、身体が疲れておらず4時間ほどの睡眠で7時には目が覚めた。この時点では気力が有り余りすぎていた。なにをしてもよかった。
買っておいたコンビニのドーナツを食べながら、図書館で借りた現代短歌集を読み始める。やるべき掃除や運動やコミュニケーションを放棄して。
その「桜前線開架宣言」をわざわざ借りたのは、興味があった短歌の棚の中で、一番文章の雰囲気が若そうだったからだ。
まえがきの2ページ目に「ニコニコ動画」という単語があったのがキッカケで、これしかないだろうと勘で借りた。
大当たりだった。
というか、僕が文化を通っていないだけだ。
現代短歌集として絶対的に有名であってほしいし、これが入門書に相応しそうなことくらいは想像がついた。
それくらいキッカケづくりや鑑賞の第一歩として適した本だったのだ。有識者からすれば当たり前かもしれない。
まえがきからグッと掴まれるものがあった。
まったく同じ心境だ。
これに「漫画も映画も長い、週刊少年ジャンプも読んだことがない、同じところに座ってられない」「一番好きな芸術の形式は音楽だ」と続く。少し意訳したけど。
ほとんど自分のことを言われている気がした。
まえがきに対して興味本位で顔を覗かせたつもりが、真剣に向きあえるようになっていた。それでいて隣で座って聞かされるように、形を作られてしまった。
そりゃ文学に興味がないと言ったらウソになる。けど、心の底から長編のストーリーや、読み込まなければいけない背景設定が苦手すぎる。
日記を継続して20日経っただけの段階でも、既に何回か「こんなやつが毎日の日記を2000字と書いてていいのか」なんて思っている。
こんな僕でも現代短歌集なんて読んでいいんだな、と心から思った。
まえがきを書いた本人の意図はわからないけど、共感を呼ぶことで本を読ませるという交渉に成功したかのようだった。
この人のまえがきが、すらすらと僕にこの本を読ませた。
文がメインのSNSが大好きで短文の面白さを知っているつもりだし、そもそも別に文章が嫌いなわけではない。
最初は大松達知さんという方で、コミカルで読みやすく趣もあった。そうそう、現代短歌!これこれ!という気持ちになった。
僕が知ってるのは精々、俵万智さんのサラダ記念日の一首くらいだ。再三書くが面白いと思えないわけじゃなく、ただただ摂取が面倒で避けてきた。
これなら…という気持ちが芽生えた刹那、刺された。中澤系という歌人に。
心を鷲掴みにしたのち、鋭すぎるナイフを背後から一発だけ奥深くまで刺してきた。その後はもうそのナイフをグリグリと動かすだけ、みたいに歌の一つ一つが身体には存在しない部位をえぐってくる。
9時前だというのに、10分ほどその場から動けなくなってしまった。
270Pある短歌集の18Pで完全に歩みが止まった。というか10分で済むなら軽傷だと思う。
この編纂した山田航さんも紹介の構成が上手くて、まず最初にこの歌を持ってくる。
鷲掴みも鷲掴みだ。
カッコいいというのは本人の意思に反するだろうけど、僕はこれにカッコいいと言わないことができない。
ここまでアングラ感がキャッチーだと、もうなんか20年代のボカロの歌詞みたいになってしまっている。
いい意味で言っているし褒めちぎっているつもりだけど、こんなに本人が嬉しくないことを書くべきではない気もしている。
この人が難病であったことや既に故人であることを抜きにしても、何か闇とフラストレーションと才がないと、これを短歌にはしないしできないと思う。
目の前の31音を費やすたび、いちいち食らった。引用はしないけど。
こんなに表現ができたらカッコいいし、31音で抉れる心の最大量を抉られた。
あと、加藤千恵さんもすごかった。そりゃ今は中年女性だろうけど、その時に感じ書いた歌は全てキャッピキャピのギラギラだ。
女子高生がこれを断片的に思ったとしても、音にハメて誰かに刺さるように書き残すのは相当難しいことだと思う。
そういえば偶然にこの方と朝井リョウさんとのラジオを聞いたことがあって「あの人こんなすごかったんだ…」って知るモブ若人の典型例もやってしまった。
どの歌人も、間違いなくその時のその人にしか書けないであろうことが一番いい形で書いてあるような気がする。
歌人の読み取りに進み進むたび、マリオやカービィの別面に来たような世界の変化を感じた。それがいわば、40面だ。
さすがに読み切れていない。疲れが先に来た。読み取りすぎの可能性もある。
適当なパンとコーヒーで食事を済ませ、食らった分の回復として寝た。
起きてダラついた時間を過ごしていると、キングオブコントが始まった。実は通して最初から最後まで見るのは初めてだ。
ネットからTVerで見れてしまい、自室に籠ったまま唐突なバカ笑いをあげるばかりだった。
全体通しての感想で言うなら、「圧倒的衝撃」と「倫理観と文脈を破壊した笑いの化け物たち」…みたいな感じだった。
こう、考えうる笑える設定の二歩先くらいを行っていた。
そのぶん、これもまた見終えたころには疲れていた。今現在だ。
短歌に心をグリグリと刺されたあと、小休止を挟んで笑いに脳を揺らされた感じ。
全ネタ間違いなく笑えたし、大会としての質もなんとなく上がっているように見えてもっと未来が楽しみになった。
優勝したサルゴリラは、新M1で例えるなら錦鯉とミルクボーイを掛け合わせたような、卓越したセンスがネタ中にあった。
おじさんのギャップで生じるイカれたしょうもなさと、鋭すぎるツッコミは錦鯉のようで。
ちょこちょこ入る完璧なワードのセンスがキャラとしてのあるあるや背景を思わせ、肉付けとしてガッチリとハマるあの感じ。ミルクボーイみたいだ。
全員が面白すぎるのを前提としても、パッと見でズバ抜けていた。
もちろんカゲヤマとニッポンの社長の、大会ごと破壊するかの如き出番順とネタ内容も最高だった。これもうここからウケないだろっていうラインを軽々と越えるのは本当に神回って言われていいと思う。
前大会たちも知らないけどね。
文化のイヤなところは、にわかなりに語り始めると後方で腕組みしながらニヤニヤしている人が時折顔を見せに来ることだ。
語り始めるのも悪いだろうけど、これを吐き出さないことには揺らされた脳と刺された心が嘔吐できずに不全を起こす。
サルゴリラの「~という魚」のくだりなんて、もう使いたくてしゃーない。
それはそれとして、夕食をドカ食いしてしまい身体的な胃もたれもしている。
本当にその二つの鑑賞と食事以外なにもしていないと言っていい。過言じゃない。自分の中では過食も過食だ。
それでも、今日はこれで正しかったと思う。
自分で食べようと思った分くらいは、余さず食べ切れるといいけど。
贅沢な人間なのに、まだ文化の胃袋が小さい。
こなまるでした。
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