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コンビニ人間を読み丸【読書感想文】

ほぼ学生気分のまま名作を読み進める。『コンビニ人間/村田沙耶香』を読みました。

人間誰しも、どこかで大きくズレを感じるとこうなるよね〜。って感じだった。何を隠そう自分もメンタルがやられている時、主人公や白羽とそこまで変わらない思考にすり替わる。時がある。みんなそうかも。

「変」な人のコミュニケーションは、代謝のような変化を繰り返して形造られる、みたいな捉え方。世間体が追いつかなくなることもある。

なんだか深みのある大人が考えた設定だな〜と思う。ただ(過去回想から)タイムワープと思ってしまうほどの年齢設定のぶっ飛び方には驚いた。途中参戦の白羽もまあぶっ飛んでいるのだけど、怨恨によって犯罪スレスレになる人ってそういうものだし、有り得なくはない話として見ていた。

薄気味悪くも共感できてしまう「普通」という言葉の負の側面を淡々と本質的に描かれていた。「人は人の真似をしているだけ」「黙るべき時に黙っているだけ」っていう、実際そうなんだけど言っちゃうと危ない考えとズレ。

男女間の差だとか競走だとか、そもそもどうでもいいと思っている人の心情や気分を露悪的かつ軽快に書かれていた。

ここまでスルッと作品として表現されると、もはや気持ちいい。芥川賞ってこういうものか〜って思った。どこか俯瞰で見ていて、愚かさを(登場人物の)心地良さと共に昇華しているというか。(受賞作品の傾向を知るのは初めて)

怨恨的な感情のループにハマってしまう人は多いし、そこから抜け出すか否かもその人の自己決定次第で、それでも家族が心配そうに見守っている、というのもかなり現代的なあるあるに思えた。
「こうすべき」という規則になんらかの理由で迎合できない人が、現実にも存在する。

主人公の恨みとも愛着とも言える世界への気持ちと、口には出せないけど普遍的な考えを「コンビニとそのマニュアル」という背景に乗せて一冊に纏めていることの上手さに、魂が乗っかっているような畏怖を感じた。

この手の人(と言っていいのか分からないけど)によくあるのが「正しいやり方を教わっていない」という文句だ。その通りではある。なんだかんだみんなそういうものかも。

人よりも考え方が全く一般的では無いエピソードや、姉妹は意外とそうでもない、みたいな辛さもリアルに書かれていてなんだか骨身に沁みた。

ところどころにコンビニや日常の"イヤさ"もあって、よりネバネバしている。ネバネバしているのにスッキリ読める、刻んだオクラみたいな小説。

「お姉ちゃんは、いつになったら治るの……?」
妹が口を開いて、私を叱ることもせず、顔を伏せた。
「もう限界だよ……どうすれば普通になるの? いつまで我慢すればいいの?」

130p コンビニ人間/村田沙耶香

極めつけはこのシーンだった。いやうん、どっちも分かる。せやんね。有り得るよね。ラストも「そっかぁ」ってなった。

主人公(古倉)みたいな人がこれくらい雰囲気で生きていることを広い目で観察し、それでいて主観的でもありつつ書くのって、著者自身が相当穿った見方でいないと(主人公的な経験もないと)無理だろうと思う。

本を読む人や大人なら一度は感じる「結局のところ動物である」という二律背反を受容しつつ、当人の生きる喜びや世界の見え方を「コンビニ」を通して如実に書かれている。

これが2016年の本って事実もすげ〜〜〜〜。現代のズレをちょうどいいタイミングで代弁してる感じがある。

現実世界で生きていく面白さを捨てずに、虚構的でひねくれた世界の見え方を思い出す時に、この本をセットで思い出すんだろうなぁ。

人に穿った見方をしてしまう時がある人にこそ薦めたくなる一冊だと思った。芥川賞やマイノリティ感から生まれる創作ってそういうものなのかもね。

こなまるでした。

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