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02.2022

大学の時に「すべての行動は意識下で行われているわけではない」というテーマで作品を作ってる子がいた。確かにそうだし、人によって無意識と意識の部分と割合がかなり違いそうだな〜と考える。
私の場合どういうことを意識的に考え、また無意識の中で行い、またそれらの割合は一日の生活のどれくらいを占めているのだろう…恐ろしい

理系な人間ではないのであまり細かく意識したことはないのだけど、「やるべきこと」の部分にはあまり脳みそを使って行動しない方がいいのではないかと思えてきた。
例えば“朝学校に行くこと“
ちゃんと間に合う時間に起きられたとしても、いろいろ考えていると、憂鬱な気持ちになって気力が削がれ、そのうち1ミリも動けなくなってしまう。自分にとってクラスで勉強することが楽しいわけではないから。そもそも通学が面倒(徒歩15分)。さらに毎日知らない単語にまみれた授業に対する不安(これはほんとにストレスだと思う)、お腹空くだろうなとか(もっと早起きして昼食を作るか学食を利用すれば良い)、宿題終わってないなとか(ちゃんとしたい)、お金がもらえるわけじゃないからバイト入れようかなとか(本末転倒)、荷物が届くから今日中に受け取りたいなとか(ドイツに時間指定という概念はない)。今更学生になることのハードルの高さを痛感している。自分を高める、それだけが学生の本分…(稼いでるからという言い訳に逃げられない)
結局いろいろ考えると「今日は休むか」という考えに行き着いてしまう…
しかし学校に通うことは自分で決めたことだし、安いけど無料ではないし、行けば来てよかったと思う。一度休むと休み癖もつくから良くない。
仕事やバイトはそういう理由で休んだことのない最低限の責任感は一応持っているつもりだが自由意志の中では自分に厳しくできない。
どうしたものかな〜と考えあぐねていた。
そこで意識的に“考えない“を取り入れてみた。
無心でとにかく着替え、歯を磨き、荷物を持って次のことは考えずにただ動く。すると気づいたら教室の椅子に座っていたりする。それでいい。
私みたいな人間はそんな工夫をしなければ毎日通学することもまともにできないのでその方法はなかなかいいなと思った。
それ以外にも睡眠に関しても“何時になったら無心で寝る“とか。考えすぎる部分に関しては無心をとにかく意識してみようと思う。食事の時にビールの栓を抜くのはほぼ無意識領域である。

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