親鳥と雛鳥
Supersonic
oasisを初めて認識したのは
確か中学生の頃
音楽の魅力に気づき始め
海外の音楽、いわゆる洋楽と呼ばれるジャンル(あまり邦楽・洋楽という分け方は好きではないのだけれどひとまずわかりやすいので)に
興味を持ち始めた私が
情報収集に活用していたのは
ラジオとテレビ、たまに雑誌
特にラジオとテレビは無料で情報が取れるのでありがたい存在
今ほど中学生にとってインターネットという存在が
当時は身近では無かった
そんな時代に特に重宝していたのが
地元のお気に入りのラジオ局(zipFM)と
BSで放送されていたベストヒットUSAだった
小林克也さんが司会を務めるベストヒットUSAで
初めて見たoasis
初めて観るSupersonicのMV
歌い始めるのリアムが正面から映る最初のあのシーン
ノエルの降ろした曲に任せて
こちらを真っ直ぐに見据える
リアムの瞳が今でも脳裏に流れ続ける
その画だけであればいつでもYoutubeで見られるのだが
あの時、実家のリビングで座りながら観ていた
あの瞬間のリアムの真っ直ぐな表情、視線
あの空間
何故、oasisなのか、Supersonicなのか
答えはないまま
ただなんと無く好きをやっていた
それが、もう2年前になるのだろうか
このSupersonicの歌い出しの歌詞こそが
答えだったと判明したのは
人生をどう生きるべきか、切り開いていくのか
どうあれば正しい在り方なのか
真剣に、それは本当に厳しくも真っ直ぐ、
真摯に向き合ってくれる方と
その方と話す時間をもらう中で
ふとリアムの顔が浮かんできた
この歌詞と共に
ただ思い出した
それが答えだった
当時の私は気づいていた
あのままでは消えてしまうことを
そして自分はそれを望んでいないことも
勘づいていたけど
認識できないでいた
あのままではいけない
そこにアラートを出しに
ぶん殴りに来てくれたのがoasisだった
Noelが曲にまで結晶化した真実を
Liamの存在を通すことにより力強く
国境も、時代も越えて2010年代の
日本の薄ぼけた片田舎に住む少女の元に
素晴らしきかな90年代のマンチェスターから
その警告は届いた
あの衝撃がなければどうなっていたのだろう
考えたくもない
まあ若干離れかけた期間もあったのだが
それはそれだ、また何故離れかけたのか
今はもう理由が痛いほどわかっている
言うなればoasisは私の親鳥
鳥は生まれて最初に見たものを親と思いこむ
imprinting、刷り込みとも呼べる習性があるという
一回死にかけた私にとって
oasisが親であり
本当に自分で在れているかどうか
その基準を確認する秤のような存在なのだ
そんな大事な存在
ひと時も離れていいわけがない
一生ついていくので、ギャラガー兄弟の2人には覚悟しておいてほしい
私という雛鳥の親として認識されてしまったこと
不味いもの蘇生させてしまった、なんて苦笑いさせて
いつかジントニックを一緒に飲見ながら
私はLiveforeverしたい
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