Day 11 Drive My Car
東京に住んで一年が経つ
こちらに来て数少ない悲しいこと
それは車を運転する機会が
はたと無くなったことだ
上京する前は愛知県にいた
名古屋に住んでいたのならば良かったのだが
残念ながら田舎な立地な場所に
住んでいたため
車の運転は必須だ
就職で実家に戻ってしばらくは
なんとか電車で耐えていたのだが
なんというか乗り継ぎというものを
まるで知らないような
ダイヤが設定されているため
乗り継ぎの悪さに音を上げて
車の運転の練習を始めた
車ばかり乗り電車移動が珍しいためなのか
乗り継ぎが楽だと嬉しいという感覚を
持ち合わせていないのではと疑うくらい
乗り合わせが頗る悪い設定になっていた
車の練習は最初はそれはそれは恐怖だった
法定速度をしっかり遵守していたら
めちゃくちゃいらいらされながら
片道一車線なのにバンバン抜かされていった
当時はあのおばさん苛ついて大変だなとか思っていたのだが
今の私があの頃の自分の運転に出くわしたら
舌打ちして抜かしていると思う
そんな悲惨なスタートだったが
通勤で毎日50kmも運転していると
運転が楽しく感じるようになってきた
そのうち実家のポコポコ走る軽自動車では
物足りたくなり
(60km/h超えたあたりからエンジンがなんかカスカスするのだ)
自分の車を買うことを考え始めた
買う車は?
それは決まっていた
MAZDAの車だ
前職に入社してすぐ、研修ということで
見学で訪れた
広島にあるMAZDA本社の
ショールームで見たMAZDAの車達
あれはほとんど一目惚れだろう
自分のお金を出すなら絶対MAZDAの車
赤いMAZDAの車を買うと決めていた
そうしてお金を貯めて迎え入れた
私のMAZDA2
これも持論だけれど
私のMAZDA2が
世界で一番美人だ
革のハンドルを握り締めて
目的地は決めず
ただひたすら幹線道路を流していく夜
Bluetoothで繋いだオーディオ
お気に入りの音楽を横目に
数多の照明灯が後ろへと吸い込まれていく
行きたいところへどこへでも
運んでくれたあの子
東京に行く
きっと車は要らなくなる
車を手放したことにも
東京に来たことにも
微塵の後悔は無い
それでも東京のビル街で
私のMAZDA2と同じ車を見かけると
あの子ならさぞかし東京の街に
美しく溶け込んだだろうという
一抹の口惜しさが
エンジンの振動の名残と共に
波紋を広げて消えていく
新しいオーナーのもとで
大切にしてもらえたら、と
そう願って止まない
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