言葉の優しさと弱さ

父が食事に使っているテーブルを買い替えた。


今まで使ってたのは車椅子を使うようになる前に買ったもので、テーブルの脚が中央でクロスしてる形。父はテーブルにぴったりと体を近づけたがるので、車椅子のままだと脚の部分に何度もぶつかる。しかも軽いテーブルだからぶつかる度にどんどん動いていって、決まった位置にテーブルがないと気に入らない父は食事の度にテーブルを蹴り(手が不自由だから手では動かせない)、時にコップをひっくり返し、時に脚にからまってバランスを崩し、とにかく食事を始められる体勢になるまでが長かった。


それを解消するためにと、重量があって四方に真っ直ぐな脚がついているシンプルなテーブルに買い替えた。私はそれを、「今のテーブルだと脚が真ん中でクロスしてるからお父さんの足がぶつかるでしょ、軽いからテーブルもすぐ動いちゃうし。ぶつからなくて、今のよりも重いテーブルに替えたから」と父に説明した。

父はそれを怒るでもなく、普通に聞いていた。正直ほっとした。今のままでいい、戻せ、勝手に替えるな、そんな反応も想像していたから、安心した。


説明を聞いていた母が、横から言葉を続けた。

「この子は気使ってこういう言い方したけどね、お父さん。食事の度にお父さんが車椅子でガタガタガタガタ音立てるのがもう嫌なの、毎日だからもう聞くだけでうわーってなるの、あたしたち。このテーブルだったらぶつからないし、動くこともないから、今日からよろしくお願いします」


………正直、ほんと、なんで後からそんな言葉つけ足すかなあ!?って怒りを覚えた。そしてまた父が怒鳴り出すんじゃないかと縮み上がる思いだdった。

確かにガタガタとぶつかったりテーブルの位置整えたり、そういう音を聞くのももううんざりしてた。だけどそれは父の所為だけじゃないし、テーブルを買い替えることで解消できたんだから、もう触れなくてもよい過去のことじゃない?


母は時々「言ってやらないと気が済まない」と口にする。私はその気持ちの方が怖いし、そんな気持ちで放たれる言葉は当然穏やかなものじゃないから、そちらに怯えてしまう。


言葉で気を遣うことは弱さなのか?言わなくてもよい言葉だってあるんじゃないか?わからないけど、母にそう意見することも出来なかったから、モヤモヤは残ったままである。

けど、少なくとも私はそういうことはしない。したくない。嫌な気持ちになったけど、自戒にしようと思う。

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