がんばらない練習

がんばらない練習をしている。適度に、適切に、ある意味適当に、生きていきたい。


普通に仕事をしてただけなようでいて、思えばこの2ヶ月色々あったのかもしれない。色々乗り越えてちょっとだけ変わった自分が今やっていることは、がんばらない練習だ。


一番気軽に雑談も愚痴も言える同僚からはよく「全力で仕事しない方がいい」と言われる。今まではそれを「いや、それはどうなの…」と思っていたけど、ここ2ヶ月でそれがストンと腑に落ちた。

死ぬほど頑張ったけど悪い方向にしか評価されなかった、いくらこちらが真剣に向き合ったつもりでも相手に響かない、私が頑張った分は全体の向上につながるんじゃなくて誰かが楽をするだけで終わる、そんなことがこの2ヶ月程の間にあったので、なんだかやっと「それも一理あるな」と思えるようになった。

今読んでいる「あやうく一生懸命生きるところだった」も、書いてあること1つずつがストンと胸に入ってきて納得できる。それも影響してるのかなあ。


がんばらない練習をしているけど、難しい。あと1時間あったら完成させられる仕事(別に明確な納期はない。ただ済ませておいたら自分がすっきりするだけ)を残業してまでその日中に終わらせるのをやめる。気持ちはすごくモヤモヤする。でもがんばらない練習だから、中断する。

後輩に指摘をする。相変わらず響かない。同じことを何度も指摘しなければならない。疲れる。今までなら、自分の指導の仕方が悪いんだ…もっと良い伝え方をして、成長させて、一人前に育て上げなきゃ!って思ってムキになってた。今も注意するけど、それで相手が変わらないのは私の責任じゃない。響かない相手もいる。自分は変えられるけど他人は変えられない。私は私の責任の範疇までは頑張る、それより先は知らない、と考えるようにする。


無責任になったとも言えるのかなあ、これ。仕事の中身という意味では手を抜いてるつもりはないけど、気にするべき範囲を切り分けるようにした、と自分では思っているのだけど。


それから、少しだけ自分に自由を与えることにした。ここ1ヶ月、資格試験の追い込みで通勤中も休日も勉強ばかりしていたから流石にストレスがたまった。試験が終わったその足で本屋に行き、ただ目に留まっただけの小説を買った。金曜日、少し早く仕事を切り上げて、カフェで一人で30分読書をした。

…死ぬほど幸せだった。新しい本なんて、何ヶ月ぶりだろう。一人で、自分の好きな飲み物と好きな場所で、まだ知らない物語を読む。こんな贅沢があるなんてもうずっと忘れてた。本当に、30分なんて瞬く間に過ぎ去った。


仕事の状況が劇的に変わるわけでも、家庭環境がいきなり改善されるわけでもない。でも、いいや。私は私に週30分でもいいから幸せを与えて、自分がやれる範囲でがんばっていく。

がんばらない練習は、もう少し続けてみる。


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