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推しが卒業するらしい


お久しぶりです。僕です。


本当に突然ですが、推しが卒業することになりました。
ので、だらだらと吐露するだけのnoteになります。気持ちの整理的なものですかね。


皆さんは推しの卒業を経験したことがありますか?
僕自身、見ていたVtuberの卒業は何回か経験したことがありますが、『推し』という存在の卒業を目の当たりにするのは初めてです。
周りの反応を見ると「推しの卒業は何回経験しても慣れない」と意見が多かったです。
ぶっちゃけ僕は「わからない」という感情が一番強いです。
初めての経験ですし、まだ実感が湧かないという方が正しいかもしれません。

正直上記のお知らせを見た時は、驚愕や悲しみという感情よりかは困惑という感情が真っ先に訪れました。
そもそも僕の推しである『玉ノ井もなか』は最近は低浮上気味で配信等をあまりやっていなかったので、本当に急の発表でした。それのせいもあって、脳内は「え?」で埋め尽くされていました。

当時の反応ポストです


ただ、逆に配信や浮上頻度が落ちていたおかげでこれだけのダメージで済んでいるとも言えるかもしれません。
正直、いくら推しとはいえ低浮上が続けば推すことに対するモチベーションの維持が難しくなります。端的にいえば下がる一方になるわけです。
この半年ぐらいの間、イベント等にも全く参加していなかったので余計にそうですね。
ですが、『推し』という存在は不思議で、たまーにやる配信があれば行きたいと思うし、スペースだったり、それこそXの何気ないポストでさえ嬉しいと思います。
応援したい気持ちや憧れ、楽しいや嬉しいを共有したい思えるから『推し』であるのであって、そこにモチベーションは関係ないのかもしれません。

元々気まぐれな猫だったのでそこまで執拗に気になっていたわけではありませんが、約半年間の低浮上期間もきっとやりたい事を見つけて、それの準備や今後どうするかの葛藤など、本当に色々忙しかったんだなと腑に落ちました。


僕は『玉ノ井もなか』という存在に何度も救われてきました。
どこかで書いたことがあるような気もしますが、もなかのおかげで生活に光が差し込んだというか、以前の僕の生活は無趣味で何とも質素なものだったので、推しという存在が出来たことで日々に楽しみが生まれました。
帰ったら配信が待ってる、起きたらおはようポストがある、当時の僕にはたったそれだけのことが堪らなく嬉しかったんです。
もなかという存在をキッカケにハコネクトというコンテンツに触れ、コミュニティに触れ、様々な人との繋がりもできました。それも今では立派な宝物です。

考えれば考えるほど数え切れないほどたくさんのものを貰った気がします。
自分は何かを返すことができただろうか、なんて臭いこと少し考えてしまうこともあって、振り返ると「あの時ああすれば良かったな」とか「あのイベント行っておけば良かったな」とか、少しばかり後悔するようなことも出てきて、何ともやるせない気持ちになります。
別にネガるわけではないですが、いざ卒業を目の前にしてしまうと過去に対して思うことが増えるんです。まるで走馬灯のようにね。自分がどうなるわけでもないのに不思議ですよね。

もなかに会えたから日々が楽しくなって
もなかの頑張る姿に感化されて
もなかと話すたびに思い出が増えて
もなかが居たから今の自分が居て

大袈裟ではなく全て事実で、それぐらい僕にとっては魅力的で大きな存在でした。
ただただ「ありがとう」と伝えたいです。

今回の卒業は契約違反や病気等と違い本人が前を向いた卒業なので、いちリスナーとしても前向いて送り出してあげたいですね。最後まで楽しく、笑顔でね。


でも、こうやって思いの丈を殴り書いてるとやっぱり寂しいという感情が拭えません。
欲を言うなら新衣装も見たかった。オリジナル曲も聴きたかった。もっともなかを見ていたかった。
雑談も、歌枠も、ヴァロも、くだらない企画も、飲酒配信も、コラボも、全部が全部楽しかった。それらの形あるアーカイブや動画も全て消えてしまう。残るのは思い出だけ。
今でも歌みたは聴いてるけど、それも8月末までだと思うととても寂しい。
寂しいけど、本人が決断したことで受け止めるしかない。それに、僕らの思い出の中だけに生きるってなんかエモくね?エモい。

先日、部屋の掃除中にグッズの整理をしてる時、チェキやネットプリントに「ずっと一緒」と書かれているのを見かけ、勝手にグッとダメージを受けました。でも、冷静に考えれば確かにそれらはこれからも一緒にあるものなのだと再確認できました。
卒業とは言っても、その存在が無かったことになるわけではありません。
購入したグッズ等はずっと手元に残るのです。

これは自論なのですが、Vtuberにとっての卒業や引退というのは『死』と同義なのだと思っています。
言語化が難しいのですが、あまり好きではない言い方をすると「魂」と「肉体」が別々だからです。
例外はありますが、基本的には「肉体」に再び「魂」が宿ることはありません。
ですが、「人は忘れられた時に本当に死ぬ」と言うような言葉があるように、Vtuberはファンの中で生き続けます。

もなかの動画やアーカイブが全て消えてしまうのは本当に残念でなりませんが、物と記憶は消せません。故に僕は一生忘れることはないでしょう。それだけが救いです。


卒業が発表されたことにより本人も少し気が緩んだと言うか肩の荷が降りたと言うかホッとしたと言うか、最近は活動もそこそこ頻繁にしていて常に楽しそうで、見ているこちらも凄く楽しい日々を過ごしてます。
上で実感がないと書きましたが、寂しいという想いは少しあれど、寧ろ前より活発になっているので楽しいという気持ちの方が強いです。なので、本当に卒業してしまった後のロスが怖いですね。
きっと本当の意味で実感するのはその時なんでしょう。まあ、その時のことはその時になったら考えればヨシ!

7月はこれからFANBOXで最後の通話があるのですが、普段は頭を空っぽにしてやっていた通話の時間も、最後ぐらいはしっかりと言いたい事を考えて行かないとって思います。とは言っても、結局いつもの変わらない感じで終わりそうだけど。


前向きな卒業、リアルな言い方をすれば円満退社のような物なので、名前を出しちゃダメみたいにはならないとは思います。なので、欲を言えば卒業後も仲の良いメンバーから裏での話とかをチラチラ聞けたらいいな〜なんて思ってます。

もなかがもなかの意思で卒業を決めたのであれば、いちリスナーであり、いちファンであり、いちもなかまの僕はそれを尊重し最後まで応援することが唯一できる事だと思ってます。
本当にあっという間の2年とちょっとでした。今でも初めて配信を覗いた日のことは覚えてるし、初めてしたコメントも覚えています。
僕の人生でこの期間は間違いなくかけがえのないものだし、もなかに出会えたことで増えた友達や思い出、それら全てが大切な宝物です。
8月末までまだ時間はあるので、精一杯楽しく、そしていい意味でいつも通りの日常を送れたらなと思います。

本当にガーっと殴り書きしただけなので読みやすさとかも何も考えてないですし言いたい事も纏って無い上にありえん雑なまとめですが、まあ今回はこの辺で。ほなまた。

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