自分の身体は浅いのか

昨日は産科、今日は婦人科のテストだった。医学にも関わらず、自分にない器官について知識を得ていくのは、奇妙な感覚だ。女性は世の中の半分を占めているのだから、大事な分野なのは確かなのだけれど。

自分の心臓の拍動は、いつも感じるから、循環器内科は身近に感じる。昨年、胸部のCTを撮ったから、縦隔の中がどうなっているかは自分の身体で見たし、肺がどうなっているかも映っていた。毎日ものを食べてエネルギーを得ていると、消化器内科にも興味が湧く。血液検査をすれば、逸脱酵素の値で肝臓の機能を少しは評価することになるし、アルコールを飲むたびに、肝臓が頑張るって言ったり、お腹が痛い時には腹部のどこかを押さえたりするから、腸管も意識はする。
それに対して、産科と婦人科は実感が湧かない。経膣超音波といっても、心電図なんかと違って体験しようがないし、そもそも私には膣や子宮が無い。周期的に排卵が来ることだってないし、だからこそ高温期になることだってない。私は、病的意義のない原発性無月経?よく分からなくなってきた。

果てしなく空虚な感覚の中を、知識だけ得ていく。

赤ちゃんがお母さんの中で育っていく過程、あまりにも複雑だった。ダイナミックなのに繊細だ。どこかで上手いこと歯車が噛み合わないと、先天性疾患になったり、流産になったりする。卵胞の成熟から排卵、分娩、産褥まで、hCG、hPL、エストロゲン、プロゲステロン、プロラクチン、LH、FSHやオキシトシンなど、何種類ものホルモンが絡みあうのである。妊娠中に母体が何かの感染症にかかれば、胎児にも大きな影響が出てくる。TORCH症候群などはその典型だ。
SCJは見たことも触れたこともないが、円錐切除術に関しても、よくこんな術式を考えたなあと驚いてしまう。確かに循環器でのカテーテルの適応も煩雑ではあるし、心臓血管外科で出てくる術式もとてつもなく専門性が高いのだが、産科婦人科で出てくる悪性腫瘍の適応基準もそれに劣らないくらい、極めて煩雑に思われた。

人の体の中で、新しい命が育っていく。そのプロセスをこれほど真剣に、深く学んだことは初めてだったから、圧倒された。もちろん、まだ浅い学びではある。
しかしそれと同時に、大きな不安も湧き起こってきた。こんなにも複雑なことができるはずの器官を、私は持っていない。CTGを読めるようになっても、客観的に読んで胎児の心拍数と子宮収縮圧を知るだけで、自分が当事者にはなりえない。父親になったら当事者意識が芽生えるよ、というのは、気休めだろう。本質的に (医学的には器質的かつ機能的に)、それがないというのは疎外感を感じる。何から疎外されているのかも分からないけれども。理論的には、自分にできることがあるとすれば、相同組み換えした染色体を一部提供することくらいだ。

体の中でできることの奥が深い。その深淵さに比べて、自分の身体は浅いのだろうか。あなたの体も、同じくらい複雑なことをしていて、大事なのだと、誰かに言ってもらわないと、気持ちを保てないような気がした。
一方で、だからこそ興味が湧くという感覚もある。産科婦人科を専門にしたら、何を考える人生になるだろうと思った。


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