はじめての投稿

2023年1月5日、痛いような寒さの中、大学へ。
冬は、食べ物が美味しいということ以外、大して良いことは無いのではないか。
新年が始まったというだけで、何も特別なことはなく、
教授が教壇で言うことは右から入って左に抜ける。
百人以上いる学年で、教室に来た生徒は片手ほど。
コロナウイルスが流行して丸3年ほど経つ。
映像で遠隔地から授業を受けるものを合わせても、10人ほどだ。

コロナ禍の刻一刻の変化を書き記すべきであったか。
そうでないと、世の中の移り変わりの様を、未来において覚えていられないだろう。

誰かとの別れや出会いを逐一書き記すべきであったか。
そうでないと、自身の中の機微を忘れてしまうかもしれない。
もっとも、文章にも限界はあるということは明々白々であるが。

異国に行ったことを、その度ごとに書き記すべきであったか。
そうしなければ、ニューヨークへの留学も、インドネシアへの演奏旅行も、シンガポールやハワイへの旅行も、薄れてしまう。

さて、話は元に戻り、まだ元三が開けたばかりである。かといって、太陽暦を使うものにとっては特別かもしれないが、そうでないものや動物たちにとっては、何ら特別ではない。
地球も、去年までと同じように回り続ける。

蓋し身の回りの変容するさまを書き記しておくべきであった。
何らかを始めるに、それより遅いということはあるまいと、今さらながら書き始める。自らの生きる証を残そうなどという大仰なことではない。書き記すことには限界があるからといって、書き記さなくて良いということにはならないだけなのだ。今を生きる自らの責任を痛感しつつ、自らの浅見を恥じつつも、これより書き記すこととする。


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