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今年の抱負は「注意深く生きる」

(追記)この記事では震災について言及しています。もし気分が悪くなる恐れがある方は、読まずに記事を閉じていただけますと幸いです。(2024/1/5)

 2024年が始まり、4日経ちました。
新年の挨拶はなんだか場違いなものに感じるので、ここでは控えておこうと思います。

 能登半島地震で被災された皆さま、心よりお見舞い申し上げます。
一刻も早い復興をお祈りしております。


 今回でnoteで文章を公開するのは4回目になります。(1つは随分前に書いた読書感想文のような独白のようなもので、恥ずかしくなって下書きに戻しました)
去年の末1年の振り返りをしながら、来年はこうしようああしようと考えていたものの中に、「文章を書き上げて人に見せることを継続する」がありました。達成するための第一歩として今書き始めています。

 とはいえ今書いている当の私は、何を書いたらいいのかわかっていません。
言葉にならないもの、言葉になりかけてそのまま放置されているものが、宇宙空間を漂うように方向性を持たずに頭の中を巡っています。
書くことを通して、思考を一区切りできたらと思っています。

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 今回の災害は、自分の身の振り方を考え直す機会になりました。


 地震の一報が入りすぐに思い浮かんだのは3.11。
そして、被災地に実家のある友人たち。

安否とどこに実家があるかをLINEで聞いて、ネットで3.11の時の津波の到達距離やその地域のハザードマップなどを確認して、少しやりとりをしました。
友人たちやその家族は無事でした。
ただ、不定期に襲う余震、津波の警戒が解けない状況、寒い中停電、断水している被災地の状況を想像して、正直何を言葉にすればいいかわかりませんでした。
自分が言葉にしているものが適切かどうか、すごく不安でした。
テレビやネットでリアルタイムの情報を得ていても、実感の伴わない想像しか、私にはできていませんでした。

 自分に何ができるかを考えました。
言わずもがな人々を救うスーパーヒーローのようなことはできません。小さくとも何かできたとて、失ったものは戻って来ません。

自分にできることとできないことの間に、すっと境界線が引かれていく感覚がありました。
あまりにもできないことが多すぎて、僅かにあるできることが強調されたようでした。

 できる範囲でお金を寄付をしたあと、私は私の生活に戻ることにしました。
災害やそれに伴う情報は、強い力で人々を恐怖や不安の中に引き込みますが、時間は変わらず以前と同じ速度で流れます。否応なく生活は続いていきます。

 今できることはなんだろう?
まずはそれぞれがそれぞれのできることをすること。
状況に打ちのめされずに、目の前のことを粗野に扱わずに、信じて、一つひとつ向き合っていくこと。
集中すること。

あとは、「できるけどしない方がいいこと」と「できて、尚且つしてもいいこと」の分別を持つこと。
これについては私は苦手意識があるのですが、こういった有事の際にふと思い出します。
生死を左右する緊急時は、的確に必要なものが、有るべき場所に有ることが重要です。
何をするべきかは考えても、何をしないべきかを考えることはあまりないなと思うのです。

その判断をするためには、おそらく注意深くなることが必要です。
注意深く状況をよく観察すること。俯瞰して、何がどんな因果関係で今そこにあるかを理解すること。

結果としてその判断が正しかったかどうかは、大体の場合は自分では知ることはできません。
ただ、注意深く考えた上での判断なら、あとで間違っていたと気づいたとしても、まあ納得がいくと思うのです。

 それは言葉を紡ぐ時にもいえると思います。
勢いで言ってしまってよかったこともあれば、悪かったこともあったと思います。もう少し言葉を選べばよかったとか、言わなければよかったという後悔は、誰でも一度は経験していると思います。

 何を選択するにせよ、まずは注意深くいること...。年が明けて災害が起こるまでの間、新年の抱負としていろんな案を挙げていたのですが、それらは全てこの「注意深く」に内包されているような気がしました。

いまひとつ抱負としてはなにかが足りない気はするのですが、そこに関してはまた追々考えていこう思います。

 ひとまず今年の抱負は「注意深く生きる」にしたいと思います。
自分や一緒にいてくれる周囲の人たち、身を置く環境の些細な変化に気づき、ともに丁寧に日々を紡いでいけたらいいと思います。


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