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失恋少女と狐の見廻り【第六話】満月の夜に

第五話「わたしを知るぬいぐるみ」はこちら
第一話「はじまりの音」はこちら

 寮から歩いて十分ほどのところにある温泉は、思っていたよりも広々としていて空いていた。露天風呂のエリアには誰もいなくって、あかねさんと二人で貸し切り状態だった。こういう状況はたまにしかないらしくって、茜さんは歌うようなテンションで、ラッキーだわ、と口ずさんでいる。
「はああああ、最高!」
 露天風呂のはしっこにもたれかかるようにして、茜さんは声を上げた。
「ふう。疲れ、飛んでいきますね」
 茜さんの真似をして、わたしは石で縁取られた浴槽の壁に背中を預けた。
乳白色のお湯を右、左、と順番に腕にかけてみる。外気は冷たく、お湯は熱い。それが露天風呂ならではって感じで心地いい。
 ぼんやり思ったのは、ミルク味のキャンディをたくさんお湯に混ぜたら、こういう色になるのかもってこと。
 飲めないのはわかってるけど、甘みがありそう、だなんて、バカなことを考える。
「ほら、彩羽いろは。上、見てみなさいよ」
 その言葉に促されて、視線を空の遠くへ。 
「うわあ! え、凄い!」
「いい反応ね。言ったでしょう。今日は、最高のロケーションだって」
「想像以上でした」
紺色の空には、たまごがたっぷり入ったパンケーキみたいにまんまるいお月様が浮かんでいる。
「今日が平日でよかったわ。じゃなきゃ、人が多くてこんな風にゆっくり浸かれないもの」
「こんなに大きなお月様、わたし初めてみました」
 あんまり詳しくないけど、なんたらムーンとかって、名前がついているやつだと思う。スーパームーンとか、ブルームーンとかそういうの。
「ふふ。まあ、めったに見れるもんじゃないものね」
 茜さんが笑った。
「ほんとに」
 しばらくの間、わたしたちは誰もいない露天風呂に浸かりながらお月見をするという、贅沢な時間を過ごした。
 冬の夜はとても静かで、近くに森があるはずなのに、シンと静まり返っている。たまに、風の音がするくらい。
 そして、その静寂さが、神秘的な月の美しさをより際立たせているような気がした。
 ぼうっと空を眺めながら、わたしはうっとりする。
「ねえ、彩羽」
 名前を呼ばれ「はい」と返す。
「……この仕事、大変でしょう? ちょうど、四日目だったかしら?」
「あー、はい。たしかに思っていたよりもバタバタしててびっくりしました」
 正直に伝えると、茜さんは笑った。
「そうでしょうね。三日も経たずに辞めてく子もけっこういたわ」
「え? そうなんですか?」
「ええ。ちゃんと続く子は……。そうね、目的がある子ばかりよ」
「目的ですか?」
「そうそう。卒業旅行のためにお金を貯めたいだとか、推しのライブ遠征に行きたいとかね。彩羽は? なにかあるんじゃないの?」
 わたしは、どうして頑張れているんだろう? 
そこまで考えてはっとした。そうだ、そうだ。狐さんのお手伝いをして、恋愛成就をするためだ! 
 どうしてすぐにでてこなかったんだろう。そういえば、昨日も今日も、大和やまと君のことをすっかり忘れてしまっていたかも。
 きっと、あまりにも忙しかったからだ。
「……ええっと」
「あら? その感じ……恋愛系なのね。なあに? 彼氏にちょっといいプレゼントを買ってあげたいとかかしら? そういう子、前にもいたわよ」
「まあ、そんな感じです」
 彼氏へのプレゼントを買う目的じゃないけれど、恋愛絡みという点では、おんなじだ。
「へえ。そんなに好きなのね?」
 微笑ましい、と言って茜さんがほほ笑んだ。
「は、はい!」
 わたしは大和君のことが好き。
 そう心のなかで呟いてみたら、変なの。なんだか、むずむずする違和感を覚えてしまった。
「プレゼント、喜んでもらえるといいわね」
「はい。頑張ります。あ! それに、わたし、ここでのお仕事にもやりがいを感じてきたんです。四日目でやっとって感じですけど」
 そう言いながら、わたしは案内を担当した川谷さんのことを思い浮かべた。
 今まで、ちっとも知らなかった。
 人の役に立てて、感謝されることって、こんなに嬉しいんだって。
「彩羽ったら、ほんといい子ね」
 視線を月からわたしの方へと向けて、茜さんが呟く。
「ええ?! そんなことはないですけど」
「そういや、まだ高校生よね? 住み込みのバイトだなんて、お父さんやお母さんは反対しなかったの?」
 その質問に、わたしは一瞬固まってしまった。
「彩羽?」
「あー。えっと……。親代わりのおばあちゃんは、説得しました。……わたし、両親とも小さい頃に亡くなってるんです」
 どこからか灰色がかった雲が流れてきて、月を半分隠してしまう。
 そのせいであたりが少し暗くなった。わたしの言葉もどこかぽつりとした響きを持って、露天風呂の湯気に飲み込まれていく。
「……そうだったのね。ごめ……」
「あ、謝らないでください! もう、あまり記憶にもないんです。なので、ぜんぜん気にしてないので」
 わたしは慌ててそう言った。
 嘘じゃない。
 お父さんやお母さんのことはあんまり覚えていない。不自然なくらいに、そこだけすっぽりと抜け落ちている気もする。ショックが大きすぎて忘れてしまったのかな、と思う一方で、幼い頃の記憶なんてそんなものかも、とも考える。
「そう。ならいいけど」
「はい!」
 月を覆っていた雲は、すぐにどこかへと流れていって、またほんのりと空が明るくなる。
 ネガティブな感情を隠すのは、べつに苦手じゃない。ずっとそうやってきたから。
それに、親のことは、もう本当に平気なはず。
でも……。
でもね、川谷さんみたいに笑顔で、二人のことを話すことはまだ難しいみたい……。
「あ、茜さん、なにか旅館のこと、聞かせてくださいよ」
 私はしんみりした空気を変えようと、声のトーンを上げて言った。
「ふふふ。ネタはいろいろあるわよ」
 茜さんは、スタッフのことや、面白かった出来事なんかをたくさん聞かせてくれた。その内容が面白くって、わたしはケラケラと声を上げ、そのたびにお湯が揺れて小さな波が立った。なんだか、お姉ちゃんができたみたいで嬉しい。
 このままずっとお話していたかったけど、さすがに頭がぼうっとしてきた。
「彩羽。のぼせそうね。そろそろ、上がりましょうか」
 わたしの顔を見た茜さんがそう言って、立ち上がろうとした。
「あ! 茜さん」
「ん?」
「わたし、明後日からも頑張りますね! よろしくお願いします」
 短期のアルバイトではあるけれど、一人でも多くの人に、この旅館に泊まってよかったって思ってもらうんだ。
「ふふ、こちらこそ」
 茜さんは、にっこり笑った。
 その後ろには、満月と星々が輝く夜空。
 美しい光景がどこまでも広がっていた。

 寮の部屋に戻り、電気と暖房をつけると、窓の向こうに小さなもふもふ姿の狐さんが見えた。
「あ! 狐さん!」
 わたしは、すぐに窓をあけて彼を迎え入れる。
「遅かったな」
 狐さんが言った。
「あ、先輩とお風呂に入りに行ってたんです。すみません、待ちましたか?」
 わたしが尋ねると、彼はじっとこちらを見つめながら首をひねった。
「はて?」
「狐さん?」
 猫ちゃんサイズの狐さん。上目遣いになっていてちょっと可愛いかも。
「……彩羽」
「え? なんですか?」
 わたしが答えると、狐さんはぼふんと音を立てて、オオカミくらいのサイズになった。そのまま、鼻先を近づけてくる。
今度は、わたしが見下ろされる側になり、ちょっぴりどきりとする。
「顔つき、いや、表情か? なにかが変わった」
「なんですか、それ」
 思い当たることがなく、わたしは首をかしげる。
「……くくっ」
「え、狐さん?」
 いきなり喉を鳴らしはじめた狐さん。
いったい、どうしたんだろう。
「そうか、そうきたか。くくくっ」
「ちょっと! 狐さんってば!」
 おいてけぼりにされたような気がして、わたしは強めに声を掛ける。
「いやはや、なんともおもしろい」
「……おもしろい?」
 狐さんの感情の動きについていけなくて、静かに聞き返す。
「そうだ。くくっ。まさか……。こんなにも短い間に、変化する人間がいるとはな。私はな、これまでたくさん見てきた。神社で願いはすれど、なにも試みず、何年も変わることのない者たちをな。……だが、こういうパターンもあるのか。ふむ」
 わたしから目をそらさないまま、狐さんは独り言を呟くように言った。
「あのう。わたし、なんにも変わってませんよ」
「ふむ。自覚はなしか。……実はな、彩羽には、この件からおりてもらうつもりだった」
「え? どうしてです?」
 突然のクビ宣言に、びっくりして声が大きくなる。
「初日、あまりにも疲れ切っていただろう。あの後、知り合いから聞いたのだ。旅館での仕事というのは、なかなか大変だということをな。十六歳の人間にはきついのではないかとも言っておった」
「たしかに、大変ですけど、もう慣れてきましたから大丈夫です!」
「くくく。そう言うと思った」
 狐さんはまた笑った。
「あの、じゃあ、このまま続けていいんですよね?」
「ああ、よろしく頼むとしよう」
「よかった」
 わたしはほっと胸を撫で下ろした。
「少し慣れたとはいえ、苦労しているのは事実だろうに。……そこまでして、恋愛成就を望むのか?」
 ビッグサイズの狐さんは、もふもふのしっぽを揺らしながら尋ねてきた。
「あー、うん。そうですね」
 さっき、茜さんに聞かれたときと同じように、わたしはしどろもどろになる。
「いったい、そやつのどこに惹かれたのだ?」
 恋のきっかけ。
それは……。
「わたしの味方になってくれたから」
「ほう」
 狐さんはそう言うと、お座りの体勢を崩して、畳の上におなかをぺたりとくっつけた。くつろぎモードになっているけど、このまま恋バナを続けるつもりなんだろうか。
 神様の遣いと恋のおはなしだなんて、なんだかおとぎ話みたい。
「小学校に入る前くらいに、わたし、人間ではないなにかと遊んでいたんです。てっきり、みんなにも見えると思っていて……」
「そういえば、初めて会ったときに、そんなことを言っていたな」
「はい。でも、実際はみんなには見えてなくって、まわりからはおかしな子扱いされてたんです。そんな中、大和くんだけは信じて……。それから、ずっと片思い。彼はそのことを覚えてないみたいですけど」
「ふむ。幼い頃の記憶など、そんなものだろう」
 気を遣ってくれたのか、それとも単なる感想かはわからないけど、狐さんはそう言ってくれた。
「それに、最近、彼女さんができたみたいなんで、失恋です」
 わたしはそこまで伝えながら、思っていたより、淡々と話していることに気が付いた。もっと、しんみり悲しくなるかと思っていたのに。
「なるほど。それで、あのとき神社に願っていたのだな」
「そういうことです」
「それにしても……。恋とやらは、なにげない小さなことがきっかけとなるのだな」
 勉強になるぞ、とでもいうかのように、狐さんはふむふむとうなずく。
「ふふっ」
 今度はわたしが笑ってしまう。
「なんだ?」
 狐さんがじっと見てくる。
「あ、すみません。恋について考えている狐さんがなんだかおもしろくて」
「なぬ。ずいぶんと失礼だな」
「すみません。あ! そうだ! 聞いてください。わたし、人間じゃないものが見えるようになったんですよ」
 ごまかすように話題を変える。
「ほう。やはり、私が言った通りだったな。それはそうと、なにかきっかけがあったのだろう?」
 わたしは川谷かわたにさんを案内したときのことを話した。
 旅館の小部屋で困っていた、たぬきのぬいぐるみのことも。
「わたしはまったく身に覚えがないんですよね。そのことを伝えたら、その子もやっぱり勘違いかもって言ってたんで、名前を知ってたのはたまたまかなあ」
「ふむ。ぬいぐるみか。小さい頃に持っていたのではないのか?」
「うーん。あんまりピンとこないです。あ、わたし、記憶がない時期があって……。あり得るとしたら、そのときかもしれません」
「記憶がない?」
「はい。実は、両親を失くしてて。そのあたりのことがあやふやなんです。とくに、お母さんとお父さんに関することは、あんまり思い出せなくて……。幼稚園のこととか、親に関係ないことは覚えてるんですけど」
「……そうか」
 狐さんが呟く。
 どうしたって、この話をすると空気が重くなってしまう。
「あ! もう昔のことなんで、ぜんぜん気にしてないんですけどね」
 わたしは慌ててそうつけくわえた。
「……これは、私の意見だが、思い出せないなら、無理に思い出そうとしなくともよいだろう。むろん、まるごと忘れて、なかったことにする必要もない」
 狐さんは悠々とした様子でそう言った。まるで、助言を人間に言い聞かせるように。
「それは、神様の遣いのありがたいお言葉ですか?」
 湿っぽくなってしまった空気を変えようと、わざと茶化すように笑う。
「そうだ」
 狐さんは声のトーンを変えることなく、落ち着いた声で答える。
「……そう、ですね」
 とりつくろうのをやめて、わたしは小さくうなずいた。
 どうしてか、狐さんの前じゃうまく感情を隠せない。神様の遣いって凄いんだな。
そんなことを思った。
「さて、そろそろいとまするとしよう」
 狐さんは、ぼふんと音を立てて、元の猫ちゃんサイズになった。
 わたしは窓際に移動して、カーテンを開ける。窓のフチのカギに手を伸ばしたところで、あっと声を上げる。
「どうした?」
 そう言いながら、狐さんはわたしの視線の先を眺めた。
 そこには、赤く光る提灯ちょうちんがいくつも並んでいる。
「お祭りだ!」
「ああ、二日後の冬祭りの準備だな」
「二日後……。ええっと、二十八日。あー、残念。仕事かあ」
「行きたかったのか?」
「毎年、友達と行ってたんです。リンゴ飴がとってもおいしいんですよ」
 そう言いながら、わたしは弥生やよいから連絡がきていないことに気づいた。彼女も今年は部活が忙しくて、お祭りどころじゃないんだろうな。
「それは、すまない」
「ええ!? 狐さんのせいじゃないですって」
「だが、ここで彩羽がここで働いているのは、私が依頼したからだ」
「最初はそうでしたけど、自分の意思です」
 夜の色に浮かび上がる提灯のくっきりとした輪郭(りんかく)を見つめながら、わたしはそう言った。
「ならいいが……」
 狐さんは歯切れが悪そうだ。
「ほんとに、気にしないでくださいね」
 わたしは念押しするように伝えて、キンと冷えた夜の街に溶け込んでいく狐さんを見送った。
 さっきはあんな風に言ったけど、あの甘くてちょっぴり酸っぱくて、どこか懐かしい味のするリンゴ飴を食べられないことは、少し残念かもしれない。


第七話「甘酸っぱいリンゴ飴」へ

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