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失恋少女と狐の見廻り【第九話】弱った身体で思うこと

第八話「久しぶりの実家」はこちら
第一話「はじまりの音」はこちら

 大晦日おおみそか、一月一日、二日と目が回るような忙しさのなか、わたしは先輩たちとともに、目の前の仕事に集中した。
 明日、一月三日はやっとお休み。そう思いほっとした夜、背中にぞくぞくとした寒気を覚えた。もうずいぶんと感じていなかったけれど、これは、発熱前の前触れ……。
「うわあ。やばいかも」
 わたしの勘は当たり、体はどんどん重たくなって、座っているのすら辛くなる。
「早めに寝よう。ごほっ」
 まずい、咳まででてきた。
 わたしが弱った動物みたいに布団の中で丸くなっていると、窓をコンコンと叩く音がした。
 狐さんだ。かかしの件があってから、彼は毎晩、わたしの様子を見に来るようになっていた。変わったことがないかの確認のためだって。
「こほっ。狐さん。こんばんは」
 窓を開け、わたしはもふもふ姿の小さな狐さんを招き入れた。
「どうした? 体調が優れないのか?」
「あ、あー。ちょっとだけ。でもすぐに治ると思う」
 さすがに咳をしているから、ごまかせないかも。
 わたしは正直に白状することにした。
「油断してはならん。ほら、布団に戻れ」
「え、でも……」
「いいから、早くしろ」
 狐さんに促されて、わたしは布団を被る。すると、狐さんは、突然身を乗り出して、わたしのおでこを舐めた。
「え、え?」
 い、今、ペロンって。
「ふむ。熱があるぞ」
「ね、熱?」
 なんだ、熱の有無を確認しただけか。
それにしても、びっくりしちゃう。
「少し待っていろ」
 狐さんは、前足で器用に窓を開けするりと外へ出る。
 一度くるりと振り向いて、きっちり窓を閉めるのも忘れない。
「ね、ねえ、どこ行くの?」
 その言葉が届く前に、狐さんは、冬の夜へと消えていった。体を起こそうとすると、ずきんと頭に痛みが響いた。
 あれ? なんだか視界もぼやけてくる。
 頭から倒れ込むように、わたしは布団に横たわる。
「狐さん」
 早く、帰ってこないかな。熱があるからか、ひとりで部屋にいるのが心細い。誰かに傍にいて欲しい。
 そんな気持ちを感じながら、わたしは重たいまぶたを閉じた。そのまま、いつしか眠ってしまったみたいだ。
 おでこがひんやりとして気持ちいい。
 なんだろう?
 わたしは薄っすらと目を閉じた。
「すまない。起こしたか?」
 耳にすうっと入ってくる心地よい声。
「狐さん?」
 そこには、人間姿の狐さんの姿があった。さらさらの長い銀髪や、かっこいいお顔をもっとよく見たかったけれど、今の視界にはくっきりと映らない。
「少し、熱が上がっているな。そのまま寝ているといい。ああ、先に水分はとれそうか?」
「うん」
 わたしはのそのそと、布団から体を起こそうとした。瞬間、ぐらりと視界が揺れる。あ、まずい。倒れる。
 そう思ったのに、いつまで立っても、布団に頭を打つ気配がない。代わりに肩をぎゅっと掴まれる感触があった。
「辛いのか?」
 狐さんが支えてくれたんだ。
「あ、ごめん。なんか、ふらふらして……」
「無理をするな」
 狐さんはそう口にして、五百ミリリットルのペットボトルのキャップを開けて、渡してくれる。いつもは片手で持てるそれを、両手で支えるように持って、わたしは喉を潤す。
 あ、これ……。
「スポーツ飲料?」
 ほのかな甘みがあって飲みやすい。
「ああ。熱があるなら、水よりもその方がいいと聞いた」
 狐さんはわたしからボトルを受け取ると、キャップを締めて、テーブルの上に置いてくれた。
 そこでふと、自身のおでこになにかが貼ってあることに気が付いた。
「もしかしてこれも?」
 おでこの冷却シートを指先で触りながら尋ねる。
「ああ。いいからもう横になれ」
 狐さんに促されるようにして、わたしはまた布団の中へと戻っていく。
「ぜんぶ、狐さんが買ってきてくれたの?」
 頭がぼうっとしてすぐにでも眠ってしまいたい。でも、もう少し、狐さんとお話していたい。
「そうだ。店の人間に頼んだ。熱が出ているときに必要なものを揃えてほしいと」
 そう言いながら、狐さんは視線をテーブルの下へと向けた。わたしもそっちを見ようとするけど、視界はぼんやり。
 うーんと、白いビニール袋があって、なかに色々入っているみたい。
「嬉しい。ありがと……」
 わたしは笑ってみせようとした。でも、うまく顔の筋肉を動かせなくて、たぶん、変な顔になっている。
「かまわん。先日、寒い夜につれまわした私にも責任がある」
 狐さんはぽつりと言った。
あ、お祭りの夜のことか。
「ち、違うよ。あの後は、ぜんぜん平気だったから」
 わたしは早口でそう告げようとするけれど、舌が回らなくて、やっぱり上手に声を出せない。
「今は、もう寝ていろ」
 わたしの言葉には何も返さず、狐さんはそう言った。
「うん。……ねえ。狐さん」
「なんだ?」
「眠るまで、近くにいてくれる?」
 そう言いながら、わたしは自分の言葉に驚いていた。
 いつもだったら、こんなわがまま言わないのに……。
 熱のせいで、思考がおかしく……ううん、なんだか心が寂しくなっているのかも。
「ああ。ここにいよう」
 狐さんは頷くと、冷却シートの上から白くて長い指でおでこを撫でてくれた。
 あ、なんだか、これ安心する。
 少しだけ呼吸が楽になった。
 わたしは、うとうととまどろんだ。意識が遠ざかる寸前に思ったことは、早く風邪を治して、狐さんの役に立ちたいなあということ。
お祭りのリンゴ飴も、看病も、ぜんぶやってもらってばっかりだ。今度は、わたしがちゃんとお返ししなきゃ……。

 幸いなことに、翌日には熱が下がった。ちょうどお休みの日だったから、わたしは一日ゆっくり過ごすことにした。
 友人の弥生やよいとメッセージのやりとりをしたり、事情を知った茜さんが買ってきてくれたレトルトのおかゆや果物のゼリーを食べたり、様子を見に来てくれた狐さんとお話したり……。
 そうこうしていると、あっという間に一日は過ぎていく。
 実家から離れた場所での体調不良。もっと不安になったり、虚無感に襲われたりするかと思ったけれど、そうはならなかった。
 きっと、みんなのおかげ。本当に、ありがたいな。


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