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失恋少女と狐の見廻り【第十一話】扉の向こう側

第十話「鍵に誘われて」はこちら
第一話「はじまりの音」はこちら

 冬休みが終わってから、はじめての週末、出勤日がやってきた。
 土曜日も、日曜日も、なにごともなく仕事をこなせたと思う。
大きなミスがなかったことにほっとしていたとき、あかねさんから声をかけられた。
彩羽いろは、オーナーから呼ばれてるわよ」
「え?」
桜ノ風旅館おうのかぜりょかんのオーナー。なんのようかは知らないけど、彩羽、なにかやらかした?」
 茜さんがからかうように笑う。
「ええっと」
 知らないうちになにかやっちゃったのかな? 今日あったことといえば……。わたしが唸っていると、茜さんが「冗談よ。なにかしらね」と言った。
「思いつくことがないんですけど、行ってみます」
「ええ」
 呼び出された場所は、旅館にあるスタッフルームのうちのひとつだった。
ノックをすると、あちら側から物音がした。すぐに顔を出してくれたのは、前に見たことのある、着物を着たメガネの男の人だった。
 この人、お客さんじゃなくて、旅館の関係者だったんだ!
「ああ、呼び出してすまないね」
 その人は、ゆったりとした口調で言った。
「あ、あの……。お疲れ様です」
 なんと声をかけてよいかわからず、ひとまず挨拶をする。
「お疲れ様。そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 わたしはぺこりと頭を下げる。
「少し場所をかえようか」
 そう言って、男の人はわたしの前を歩き出した。どこに行くのだろう、と疑問を抱いたけれど、ひとまず大人しくついていくことにした。
 しばらく足を進めるうちに、もしかして……、と思った。
 この人が向かっているのは、あのあかず扉なんじゃないだろうか。
「あの……。ここって」
 わたしの予想は当たった。
「ふふ。貴女、この扉の向こうが見たいのでしょう?」
 男の人は、意味ありげに笑って、こちらをちらりと見た。そして懐から鍵を取り出すと、いとも簡単に扉を開けてしまった。
「……入ってもいいんですか?」
 この人は、旅館の関係者。べつに危ないことなんてない。そう自分に言い聞かせて、ざわざわする心を静めようとする。
「もちろん。さあ、どうぞ」
「し、失礼します」
 男性に促され、わたしは扉の向こう側、薄暗い空間へと足を踏み入れる。
背後で扉が閉まる。
 バタンという乾いた音を聞いたとたん、急に不安感がこみあげてきた。
 待って、そういえば、アルバイト初日に、旅館の上層部が怪しいかもって話を狐さんとしていたような……。
 わたし、この人についてきて大丈夫だったのかな。
 ぱっと電気がついて、視界が一気に明るくなった。
「えっ」
 その部屋には、旅館内とは思えない雰囲気が漂っている。
 広さは高校の教室くらい。壁一面に棚があって、ガラス瓶がずらりと並んでいる。どれも、手のひらにギリギリ乗るくらいのサイズをしている。
 まるで、理科室みたいなところ。
 ん? これ、なんだろう?
「その中にあるものが気になるかい?」
 わたしが棚のひとつに近づいて、まじまじと見ていると彼が言った。
「はい」
 ガラス瓶には、しゃぼん玉のような丸い何かが入っていて、ふよふよと浮いているように見える。緑、赤、黄色、紫。光が当たる角度によって、色もころころと変わっていく。
「魂のカケラ、とでもいえばわかるかな?」
 その言葉を聞いたとたん、背筋がざわめき、呼吸が止まる。
初めて会ったときに狐さんが言っていた「魂を盗られている人間がいるらしい」という言葉が頭の中に蘇る。
 この人が犯人ってこと?
「魂? 冗談ですか?」
 わたしはなるべく動揺を悟られないように、平然を装って尋ねる。
「本当だよ」
「どうしてそんなことを?」
「理由かい? ただのコレクションさ。僕はね、人間の魂を少しだけ拝借して、こうやって眺めるのが好きなんだ。ああ、あえて少しだけにしているのには理由があってね。ぜんぶ盗ってしまうと、すぐに本体が死んで後々、厄介なんだよ。上から目をつけられやすくなるからね」
 少しも悪びれる様子なく、男の人はぺらぺらとしゃべる。
「……少しだとか全部だとか、量の問題じゃないと思います」
「まじめだねえ」
「あなたが非常識なだけです」
 ぴしゃりと、わたしは口にする。
「言うねえ。……ほら、よく見てごらん。魂の持ち主の人生が映像となって流れているだろう。といっても、カケラだから断片的なものも多いけど。魂にはどうしてか、記憶がへばりついてくる。花を引っこ抜くと必ず根がくっついてくるようにね。はて、どうしてだろう?」
「知りません、そんなこと」
「そうさ。わからないからこそ、惹き込まれる。こういうことを考えれば考えるほど、本当に趣深いよ。だから、さっきも言った通り、収集しているんだ」
 わたしは、悪趣味な男の言葉を聞きながら、さっきよりもよく見てみようと、ガラス瓶へと顔を近づけた。
「あっ」
 小さく声を上げる。
 たしかに、丸いシャボン玉みたいなものの中には、映像が映っている。その魂の持ち主だの視点なのかな? 夕空の下を走る路面電車の窓の外。そこには、田んぼが広がっていて、向こう側には点々と家が立ち並んでいる。わたしの知らない場所だけど、どこかノスタルジックな光景だった。でも、すぐにその視界はぼやけてしまう。まるで涙が溢れたときのように。あ、この人、ひょっとして泣いている? なにが、あったんだろう。
 そう思っていると、ぷつりとそこで映像が途切れた。
 わたしは、べつのガラス瓶に近づいた。
 そこに映っていたのは、なんの変哲もない和室だった。テレビからはお昼のニュース番組が流れていて、縁側では風鈴が揺れている。丸いお盆の上には切られたスイカが置いてあって、その傍らでは、三毛猫があくびをしている。なにげない日常のワンシーン。
 ……わたしはそこまで考えてはっとした。
 人の人生を盗み見るような真似をしてしまったのだと、自覚したからだ。
「ふふ。どうだい? 興味深いだろう。魅力が伝わったんじゃないかな?」
 男はわたしの心境を悟ったのか、喉の奥を鳴らして笑った。
「こんなの、していいことじゃありません。そもそも、人間にできることじゃない。あなたはいったい、何者ですか?」
「何者、か。すでに聞いているんじゃないのかい? あの狐から」
 男が言った。
「狐?」
 わたしはとぼけたふりをする。
「ふふふ。今更、隠す必要はないさ」
 男は笑い出し、近くにあったイスに腰を下ろすと足を組んだ。
「何をおっしゃっているのかわかりません」
 わたしは震えそうになる足に力を込めた。
「怖がらなくてもいい。べつに取って食おうってわけじゃない。僕はただ、貴女と話がしたいだけだ。立ち話もなんだからね、そこに座るといい」
「話ってなんですか?」
 男の勧めを無視して、わたしは尋ねる。
「あの、千影之狐ちかげのきつねのことさ」
「知りません」
 ぴしゃりとシャッター下ろすように、わたしは答える。
 本当に狐さんとはもう関係ないもん。そんな怒りの感情と、この男に情報を渡してはダメだという思考。
ふたつがぐちゃぐちゃに絡まり合っている。
「ふう。まだ、隠す気かい? ……最初はねえ、貴女のこと、はらい師だと思っていたんだよ。ほら、あの扉のところによく来ていただろ? 僕のおこないを嗅ぎつけて、はらいに来たんじゃないかってね」
「祓い師?」
「そう。人間じゃない悪さをするものをこらしめる者のことさ。それでねえ、タイミングを見計らって、確かめさせてもらったんだよ」
「もしかして……。あのときのかかし?」
 実家から旅館へと帰る途中、かかしに襲われたことを思い出す。
「その通り。だが、貴女は祓い師ではなかった。それどころか、なにもできない非力な人間。でもね、そのとき、面白いことを発見したんだ」
 男の言葉が気に障るが、いちいち反応していれば、相手の思うつぼだ。わたしは両手を握りしめた。
「なんですか、面白いことって」
 もったいぶったようなこの人の話し方も気に食わない!
「まさか、あの千影之狐の関係者だったとはね」
 あのとき、わたしは狐さんに助けられた。その様子をこの男はどこかから見ていて、関係があることを知ったんだ。
 うう、これじゃさすがに無関係だとは言い逃れできないよ。
「ふふ。でもね、僕は慎重なんだ。そのときはまだ、貴女と千影之狐が、この扉のことを探っているのか、確信は掴めなかった。たまたま二人は知り合いで、貴女はアルバイト先のあかずの扉のことをただ気になっているだけの可能性があったからね。僕は、なるべく身を潜めていたい。無駄な騒ぎは起こしたくない派なんだ」
「そうですか」
 わざと、淡々と答える。
 男の目的がわからず、じれったい。
「そっけないね」
「続きを」
 わたしが促すと、男は笑みを浮かべた。
「それで、鍵を使って誘い出してみたんだ。貴女は短期のアルバイト。最終日のあのタイミングに鍵を見つけたのなら、チャンスを活かそうとするだろうと思った。千影之狐となんらかの調査をしているなら、なおさらね」
 なにも言い返せない。
 すべて、この男の思いのままに動かされていたのだ、と理解する。
「ふふ。どんな気分だった? あの鍵が偽物だと知ったときは」
 あえて、わたしはなんにも言わない。
 こんな奴に、答えたくなかった。
「さて、結果はクロ。あのときの会話をこっそり聞かせてもらって確信したよ。貴女は千影之狐の協力者だった。だけど、今ではケンカ別れといったところかな。……ふふふ。本当に面白かったよ。仲間割れするなんてね」
 男はイスから立ち上がり、一歩こちらへと近づいてくる。
「……話ってこのことですか?」
「いいや、本題はここからだ。あの狐は、貴女をこの件から引かせるつもりでいるようだけど、また別の厄介なものを送り込まれても困るからね。僕としては、あいつのことを消すなり、封印するなり、どうにかしたいわけだ。だから、どうだい? 取引しないかい? 貴女はただ、僕の指定する場所に、彼を誘い出すだけでいい」
 男は両手を広げて、首を傾ける。そんな、胡散臭いしぐさから視線を逸らしてわたしは答える。
「しません」
 たしかに、狐さんとはケンカしているけど、だからといって、こんな男に協力するつもりなんてない。
「ふうん。どうして?」
「わたしにメリットがないからです」
 ぱっと思いついた理由を伝える。
「メリット、ねえ。……ああ、そうだ。僕なら、貴女の親に会わせてあげられるよ」
 ぴたり、と部屋の空気が固まったような気がした。
「どういうことです?」
「貴女の両親は、九年前に亡くなっているだろう?」
「どうしてそのことを……。まさか!」
 わたしは、棚中に並べてあるガラス瓶を見渡した。
「ああ、先に言っておくけど、貴女の両親の魂を持っているわけじゃない。でもね、貴女が住んでいる町の人とは、なかなか濃い付き合いなんだ」
「なぜ?」
「知らないかな? あの町は雨が多く、水害がたびたび起こるんだ。それで、この旅館は、よく一時的な避難場所として使われている。これは、僕がオーナーになる前からなんだけどね、こちらとしても都合が良かった。彼らが安心して眠っている間に、魂を盗り放題だったからね。そのために、この旅館をのっとり……。いや、譲ってもらったんだ。ええっと、そっちの棚だったかな? 十数個はあるよ」
 たしかに、町と旅館との関係については、前におばあちゃんから聞いたことがある。
 男は棚のひとつに視線をやりながら言葉を続ける。
「彼らの魂のカケラの記憶から、貴女の両親のことは見させてもらったよ。もちろん、貴女のこともね」
「え?」
 一瞬、驚く。
 でも、わたしも両親も、町の人たちとの交流がある以上、魂伝いに情報を知られているのは、べつにびっくりすることじゃない。
「初めてあの扉の前で会った時、どこかで見たことがあると思ったんだ。これでも、記憶力には長けた方でね。さすがに、成長していたからすぐには気付かなかったけれど。それで、調べさせてもらったよ。アルバイト応募時の履歴書と、彼らの魂の記憶から。覚えているかい? 貴女は昔、この旅館に来たことがあるんだよ」
「そんなこと、覚えてません」
 男の言葉が本当かどうかもわからない。
「そう。まだ、小さかったから忘れたのかな? それとも、ショックで記憶がなくなっているとか」
 男はわたしの反応を見つつ、イヤな言葉を選んでいるように見えた。
「あなたが嘘を言っている可能性もあります」
「残念だけど、これは本当だよ。せっかくだから、詳しく教えてあげよう。九年前の夏、激しい雨が続いて、あの町は洪水や土砂崩れの要警戒エリアになっていた。それで、貴女たちはここに避難してきたんだ。しばらくすると雨の勢いが少しだけ弱まった。そのとき、町の何人かが、神社が心配だと言い出したのさ。周りが危ないと言ったが聞かず、彼らはすぐに戻るからと言って、町へ帰ろうとした。貴女の両親もね。さすがにまだ小さかった子どものことは、祖母に預けたようだけど。そこから先は知っての通り。彼らの一部は、土砂崩れに巻き込まれ、ここに帰ってくることはなかった」
 昔話を話すように、男は言葉を綴った。
「知らない。そんなこと」
 わたしは首を振る。
ずっと、避けてきた。お父さんとお母さんがいなくなったときの状況を聞くこと。いつか覚悟ができたら、おばあちゃんに尋ねようと思っていたのに……。まさか、こんな形で耳にするなんて。
「覚えているかいないかは置いておいて、これが事実さ。ああ、ひとつ重要なことを伝え忘れるところだった」
 そこまで言うと、男はにやりとイヤな笑みを浮かべた。
「なんですか?」
 睨みつけるような視線とともに、わたしは尋ねる。
「その豪雨を起こしたのは、あの千影之狐だよ」
 え?
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
「……嘘。狐さんがそんなことする意味がない」
「本当さ。あの雨はね、木々や花を掘り起こし、開拓を続ける人間たちへの警告だったからね。人ならざる者たちの代表として、彼が動いたんだ」
「そんな……」
 ふいに、狐さんが、見廻りの仕事を任されている理由を思い出す。彼は「九年前にやらかした」と言っていた。
 ということは、やっぱり本当なんだろうか。
「つまりね、貴女の両親は、千影之狐に殺されたと言っても過言ではないのさ」
 男の言葉は、とどめを刺すように胸をえぐってくる。
 うまく呼吸ができなくて、必死に息を吸おうとする。立っているのが辛い、と思うと同時に、わたしは床に崩れ落ちていた。
「可哀想に」
 心のこもっていない声。
わたしは言葉を返せない。
「さっきも話した通り、僕なら両親に会わせてあげられる。見ててごらん」
 男はわざわざわたしの視界の真ん中に入ってくる。ずかずかと遠慮なく。 それから、両手を宙に掲げた。
 部屋中が白い霧のようなものに包まれる。旅館の一室にいることを忘れそうなくらいに、一面の白。あまりにも濃い色のせいで、わたしはなんにも見ることができない。
 すぐにそれは、薄くなっていく。
「う、そ……」
 いるはずのない人物たちがあらわれて、わたしはふらふらと立ち上がる。
「彩羽。元気そうだな」
「よく頑張ってるわね」
 お父さんとお母さんが声をかけてくれる。もうとっくに忘れたと思っていた声。でも、わたしにはわかる。
 それは、紛れもなく、本人たちのもの。そう信じたい。
「本当に?」
 一歩、一歩と、二人のもとへ近づく。写真で見た姿よりも、少しほっそりとしているけど、わたしのお父さんとお母さんだ。
 目元がじんと熱くなって、視界がぼやける。
「彩羽。会いたかったよ」
「ずっと、貴女のことを考えていたの」
 そう言いながら、二人はこちらへと近づいてくる。それから、わたしのことをぎゅっと抱きしめてくれた。
 わたしは二人の胸で子どもみたいに泣きわめく。彼らの体温は少し生ぬるいけれど、たしかに今、ここにいるんだってことを伝えてくれる。
 思えば、お父さんとお母さんがいなくなってから、誰かに抱きしめられるなんて、なかった。
 おばあちゃんと暮らし始めたときは、もう中学生になっていたから。
 会えて嬉しい。抱きしめてもらえて安心する。
 そんな、幼い気持ちを、わたしはただ噛みしめた。
「さて、残念だけど、そろそろ時間だねえ」
 嬉しさに浸るわたしの耳に、イヤな声がねっとりとへばりついてくる。
 お父さんとお母さんの姿はみるみるうちに半透明になって、寒々しい室内の空気に溶けるように、跡形もなく消えていった。
「えっ。待って!」
 わたしの言葉はむなしく室内に響き渡る。
「悪いねえ。さすがにずっと会わせてあげるわけにはいかない。五分が限界でね。それはそうと、どうだい。久しぶりの再会は?」
そうだ、この人がなにかをしたから、わたしは二人に会えたんだ。
「今のって?」
 ただの幻?
「僕の術さ。亡くなった者の魂を呼べる。貴女も知っての通り、僕は人間じゃない。あやかしの一種。だから、こういうこともできてしまうのさ」
「じゃあ! やっぱり、本当にお父さんとお母さんだったの?」
 わたしは勢いよく尋ねる。その事実をどうしても確認したかった。
「ああ、もちろん。正真正銘の貴女の両親だ」
 男が言った。
「そう……」
 さっきまでの抱擁を思い出すように、わたしは腕で両肩を抱き込んだ。二人の体温を思い出すと、心がぽかぽかとしてくる。
「ふふ。さあ、話の続きをしよう。僕なら、今みたいに、いつでも両親に会わせてあげられるよ。貴女がここに来ればね」
「いつでも?」
「そうさ。貴女が会いたいとき、いつでもね。だから、こちら側につかないかい? まあ、今すぐに決めろとは言わないよ。考えてみてよ。次の出勤日、仕事が終わったらまたここにおいで」
 さっきまでわたしの上司だった男は、最後にそう言って、にんまり笑った。


第十二話「約束」へ

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