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失恋少女と狐の見廻り【第三話】桜ノ風旅館

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 わたしってば、凄いじゃない。
 桜ノ風旅館おうのかぜりょかんの短期アルバイト採用試験は、すらすらと進み、高校の冬休みが始まる十二月二十三日から雇ってもらえることになった。
 面接のときに聞いた話によると、仲居さんの補佐スタッフというポジションみたい。働くときは、着物じゃないけど、作務衣さむえっていう和風の制服を着るらしい。それも、お花の模様が入っていて、けっこうおしゃれ。こういう制服を着て働くの、ちょっと憧れてた。
なんだか楽しそうかも。
 早くも心地よい達成感を覚えて、るんるん気分で出勤した自分に言ってやりたい。
覚悟してきて、と。
「うう……。もう、無理かも」
 初日の勤務がおわると同時に、すでに気持ちは前向きどころか後ろ向きだ。旅館のアルバイト、こんなに大変だなんて聞いてない! 
 わたしはジェットコースターのように流れていった時間を、頭の中で巻き戻した。
 八時。連絡事項の共有がおこなわれる朝礼から、業務はスタートする。ポケットからメモを取り出し、リーダーが言うことを書き留めていく。
 その後は、大きなお団子ヘアがよく似合う先輩のあかねさんと客室にうかがって、布団を畳む。お客さんは朝の温泉に入りに行っていたり、食事処に行っていたり、部屋でくつろいでいたりいろいろだ。どちらにしても、スピーディにこなさなきゃいけない。
 といっても、ぱたんと二つ折りにして「はい、オッケー」となるわけもなく……。洗濯するためにシーツを外して、新しいシーツに替えた後、押し入れに仕舞っていく。
「ああ! 彩羽いろは、ちょっと待って。物が残ってないかもチェックして」
「はい!」
 まれにスマホだとか、時計だとかが挟まっているらしい。
 茜さんに言われた通りに、忘れ物がないかを確認して、さて、布団を持ち上げるぞ、と意気込む。
「う……」
「彩羽? 持てる?」
 茜さんの声が隣から飛んでくる。
「大丈夫です!」
 えいっと腰に力を入れて、敷布団を持ち上げる。その重みで後ろにひっくり返りそうになるのをなんとか堪え、ふらつきそうになる足を踏ん張り、押し入れへと、二歩、三歩と足を進める。よたよた、という効果音がつきそうなくらい、弱い足取りだったと思う。
「そうそう。次はこっちの布団、お願いね」
「はい!」
 ちょっと待って。布団ってこんなに重たかったっけ?
 わたしの知っている布団は……。
 そこまで考えてはっとした。布団なんて、畳んでない。いつも、自室に敷きっぱなしで学校に行くと、帰ってくる頃には、押し入れの下段にきちんと置いてあったから。わたしは夜眠るときに、それを引っ張り出して、引きずるように敷くだけだから、重みなんてほとんど感じたことがないんだ。
「彩羽! なに、ぼうっとしてるの! 次の部屋行くわよ」
 茜さんの声が、わたしの意識を自室から客室へと引き戻す。
「す、すみません! はい」
 そうやって、担当する部屋の布団を仕舞い終わった頃には、体育祭の日の夜のような疲労感が身体に纏わりついていた。まだ、一時間半くらいしか経っていないのに。
「次は、チェックアウトされた部屋の掃除ね。さっき『もみじ』と『あさがお』のお客様が帰られたって連絡があったわ」
 チェックアウトされた客室の情報は、スタッフがひとり一台持っているインカムを通して流れてくるけれど、わたしは短期だから持たせてもらっていない。
「わかりました」
 茜さんの後ろをカルガモの赤ちゃんのようについていく。ここのスタッフはみんな歩くスピードが速くって、わたしはときどき駆け足にならないと置いていかれそうになる。
「まずは、やってみるから手順を覚えてね」
 茜さんはそう言うと、はたきや雑巾や掃除機を使って、部屋中を綺麗にしていった。仕上げに、部屋の隅にある花瓶の水を替える。
 ぱっと見ただけじゃ、わからないけど、さっきよりも部屋に漂う空気が、清々しくなっているような気がしないでもない。
「じゃあ、次の部屋でやってみてね」
 わたしはメモ帳を握りしめ、はいと返事をする。
 茜さんほどにてきぱき動けるわけじゃないけど、手順は覚えた、と思う。
 客室の清掃が終わる頃には、お昼の十二時になっていて、ここでやっと、一時間の休憩。
「疲れたでしょ?」
 茜さんに聞かれて、慌てて首を振る。
「あはは! 大丈夫よ、正直に言って」
「思っていたよりも、大変でした」
「そうよねえ。慣れるともう少し楽になるわ」
 そんな会話を交わしながら、スタッフ向けの休憩室へ向かう。そこには、まかないが用意されていて、自由に食事をとることができた。
 ほかほかのご飯にお味噌汁、煮魚におひたし。黄金色の大きなやかんに入った麦茶もあった。スタッフは自分でお椀によそって、お盆にのせていくのだと茜さんが教えてくれた。
 そして、食べ終わったら、キッチン洗剤をつけたスポンジで食器を洗って、指定の場所に置いておく決まりらしい。最初は給食やバイキングみたいって思ったけど、準備から後片付けまで全部しなきゃいけないから大変だ。
 休憩室の端っこにあるテレビからは、わたしも知っているお昼のワイドショーが流れている。
 実家のこたつで、昼食を食べながら、おばちゃんとおんなじ番組を見ていたことを思い出す。今、見知らぬ人たちに混ざって、そわそわしながらお箸を動かしているのが、なんだか不思議な感じだった。
 午後のメイン業務は、チェックインだ。十三時から客室の最終チェックがあって、十四時から、お客さんを迎え入れる。
 はじめてのわたしは、茜さんと二人一組になって対応させてもらった。
 茜さんはすらすらと館内の説明をしながら、客室までご案内していく。その後、一旦その場を去り、厨房に入り、茶杓でお茶を立てて和菓子と一緒にお出しする。
 その繰り返し。
 大変だけれど、それでも午前中よりは時間の流れがゆっくりで安心した。
「次のお客様まで少し空くって。せっかくだから、彩羽に館内をすみずみまで案内するわね」
 二組を客室までお連れしたところで、茜さんが言った。
「はい! お願いします」
 茜さんとはぐれたら迷子になるんじゃないかって思うくらい、造りは複雑だ。
 二階建ての建物に、客室や温泉や宴会場や日本庭園や展示場やらがあって、上品な光沢のある、木でできた廊下によって繋がっている。
 廊下も壁も天井も、どれも同じような色と質感だからか、どこにいるのかわからなくなりそう。
 わたしは頭の中に館内の地図を描きながら、茜さんの後をついていく。
「ここで、ラストね」
 茜さんは、立ち止まり、右方向に伸びる廊下を指差した。
 そこには、廊下の横幅いっぱいを通せんぼしている棚があった。その上には花瓶が飾られている。
「あれ? これって、あえて通れないように塞いでいますか?」
「ええ。この廊下の先にあるのは、備品を保管したり、置物として使ったりする小部屋があるの。客室ではないから、お客様を連れて通ることはないわね」
「なるほど! 色んなお部屋があるんですね」
「ややこしいって思うかもしれないけど、慣れたら簡単だから安心して。さて、これで案内はおしまいよ」
 茜さんはそう言って、うなずいた。
「あれ? さっき、一階の突き当りのところに、もうひとつ扉があったような気がします」
「ん? ああ、旧館に繋がってるの。前は、あっちがメインで使われていて、こっちの建物は後から建ったって聞いたわ。今は一階だけになっていて、めったに使わないものを置く場所になってるはずよ。気になるなら、行ってみる?」
「はい!」
 そこで思い出したのは、この旅館のアルバイトに応募した理由だった。
狐さんに協力中のわたしは、この旅館に潜んでいる謎を突き止めなきゃいけない。
それもこれも、恋を叶えるために!
朝からのバタバタに流されて、つい、忘れそうになっていた。
「扉、硬いわね。とりゃっ」
 茜さんは、かけ声を上げながら、引き戸を思いっきり引っ張った。ぎぎっという音を立てて、旧館に繋がる廊下があらわれる。ツヤがなく、どこかくすんだ木の床が続いている。
「あまり、使われている気配がないですね」
「ええ。人が来ることも少ないからか、埃っぽいわね。それに、空調もないから、当たり前だけど寒いわね」
 茜さんはそう言いながら、すたすたと歩き、旧館の扉をさっきと同じように、勇ましい掛け声とともに開けた。
「へえ。古いですね」
「ええ。百年くらい前からあるらしいわ。旧館はこんな感じ。さて、戻りましょうか」
 本当はこっちの建物もすみずみまで見てみたかったけど、業務に直接関係がないから、言い出せない。
「はい。ありがとうございます」
「いいの、いいの。あ、ちなみにね……。あれ、わかる?」
 茜さんはそう言って、長い廊下の先を指差した。そこには壁があって、古びた扉が見える。遠くにあるからか、サイズは小さく感じられる。
「扉、ですか?」
「そう。あれはね、あかずの扉って言われてるの」
「え?!」
「まあ、みんな、あそこもどうせ物置だろうって噂してるけどね」
 ハスキーで落ち着いた声が、旧館の廊下いっぱいに響き渡る。
 あかずの扉について詳しく聞こうとした途端、茜さんのインカムにご案内の指令が届いた。
「次のご案内の方、到着されたわ。急いで戻りましょ」
 茜さんにせかされて、早足で来た道を戻る。
 あかずの扉のことは、またあらためて聞いてみよう。あと、狐さんにも報告しなきゃ。わたしはそう心の中に書き留めた。


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