noteを始めることにした。
理由は二つ。
一つはTwitter(現X。以降、全文でTwitter)で話すことにシステムと感覚の面で制限を感じるから。システムは簡単、字数。140字は足りない。言いたいことは1000字尽くしても足りない。
感覚に関しては、もう、感覚としか言いようがないけど、あえて言うなら「可視化される共感性と、不定形の反応に疲労感を覚えている」から。みたいな。
僕はTwitterが好きだ。とても。あれほど簡潔かつ明瞭なUIで、情報収集と他者との交流ができるツールは、僕が知る世界ではTwitterだけだから。でもおそらく僕は、そのツールに委ねすぎてしまったのだと思う。
本当に好きなのだけど、少しずつ砂漠化していくような気持ちになる。
もう一つは、誰かに散文でも韻文でも冊子でもない形で僕の文章とか物の見方を見てほしいから。
僕は基本的に人の話を聞くのが好きだけど、でも話したいことがたくさんある。むしろ話したいことはみんなに話していることの三倍はある。ただ会話という形式でそれを伝えるのは苦手だから。
僕は「話す•聞く」と「会話」についての言語化が欠けていると思うので、そこについていつか言葉にできたらいいな。
この文章が何かといえばおそらく「独り言」なのだけど、そう人に言われたら認めたくない。人に読ませる文章なのに「独り言」という編集されていないものを載せるのかという。でも「独り言」も編集すれば面白いと思ってもらえる方法らしい。
この文章が一人でも多くの人に届くことが何より嬉しいのだけど、その中でも、特に読んでほしい人が、二人? まぁ三人か。とにかく、いる。
その人たちがもし読んでいるのにら、なんだろう、僕の中にパズルがはまるような「感覚」があるのかな。とだけ。
一応、これからここに文章を書くにあたって自分にルールを設けておく。
①文を書く前提の段階で、害意を持つものを書かないこと。
②他人が読むという意識で書くこと。
③①と②を守ること。
努力目標だけど、③の存在があるから多分ある程度の効果があるんじゃないかなと。
害意というのはすごい曖昧だけど、要は「人が傷つきそうなテーマは書かないよ」です。こうでも言っておかないと、僕はすぐ人を突き刺すから。
それで刺してしまったら、ごめんなさい、としか言えないけど。自己のものの見方が他己を刺すことだってあるから。
長くなりました。これが長いのか短いのかもわからないけど。
とりあえず、よろしくお願いします。
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