3期「おそ松さん」感想 6つ子の虚構を捨てないで

「おそ松さん」を三期まで視聴し、それなりに追ってきて思うところがあったので書き残したくなった。私自身はもちろん関係者ではなく、ギャグ漫画やお笑いが好きなだけの一視聴者の感想である。また、本編の内容に言及しているのでネタバレが嫌な方は読まないことをお勧めする。

「おそ松さん」三期は社会現象といわれた一期から、二期さらに劇場版を経て発表されたものであり、大半の既存ファンにとってうれしい予想外だったと思う。三期が始まったときはわくわくしていた。
新しい試みということでAIロボットの新キャラクターが参入し、各話に一本筋が通ったストーリーが展開したからである。結論からいうと、1クール目の最終話に新キャラクター絡みの結末は提示された。結果として6つ子の脅威にも起爆剤にもならなかった。絆のようなものは芽生えたが、6つ子の基盤は特に揺るがなかったし成長もしなかったのである。その頃には既に2クールあることが告知されていたので、内容的に1クール目で終わった場合の最終話をそのまま流したのだと思っていた。
そしてその段階で、ネット上で確認した限りの評判は微妙だった。

自身で感じた理由としては、①「テンポの悪さ」である。
一期と比べると歴然なのだが、一話もしくはひとつのネタに詰め込まれたセリフ量や情報量の密度が物凄くスカスカになった。ただ、これは二期からこの傾向があり、ネタの天丼やパロディも以前から多かったがオマージュはかなり冗長に感じた。また、題材にギャグとしてでなくリアルに重い要素(6つ子の加齢、シングルマザー等)を選んだのも影響していると思う。


②が「キャラクターへの分配とその方向性」が挙げられる。
これは①の理由にも関わるが、テンポの速かった一期はいくつかのネタに明らかに影響が見て取れる『ダウンタウンのごっつええ感じ』のようなお笑い番組の布陣によく似ている。6つ子全員出てくるような場合、セリフ量的におそ松とチョロ松が話の軸を展開し、トド松がそれをバランスよく補佐するようなスタイルが定番だった。カラ松・一松・十四松は個性の強さで当番回以外はその三人に比べると序盤は進捗するような役割はなくセリフも少な目だったと思う。
二期以降の変化は、予想だが一期で想定外に6つ子が「キャラ萌え」も獲得したため、出番やセリフを均一化した影響ではないかと思っている。それにより特に個性の強かった兄弟は集団の中でキャラとしての方向性が変わっていった。三期の場合はそれが特に顕著で、一期ではツッコミを担っていたチョロ松のツッコミは激減し補うような形で一松や十四松がそれに近い進行役をやっている。二期ではトド松が主にツッコミ担当だったが、三期ではそれもあまり見られず一松や十四松と同じく進行役といった感じになっていた。またチョロ松は一期とは逆転して難しい部類のボケを担い、たまに思い出したようにツッコむというかなり忙しい状態になってしまった。そのため、大半の話でテンポが死んだというか感じられないようになったと思う。一期ではおそ松がボケればチョロ松が食ってかかり話が進行し、チョロ松やトド松がつっこむ流れが大好きだったので、これは残念に思った。


そして三期特有の理由として、③「楽屋ネタ」がある。
二期も含めると業界イジリといった方がよいが、とにかく楽屋ネタが多かった。特に2クール目は新キャラが漫才コンビを志したためAIそっちのけで展開したが、個人的にはあまり面白いと思えなかった。
また、中の人(担当声優さん)に絡めたネタが多いのも微妙だった。
これは今までお笑い番組やギャグアニメを見てきた上での持論だが、楽屋ネタが面白いのは生身の演者がやるもののみと思っている。好みもあるかもしれないが、二期以降はこの感覚が視聴者と乖離しているがためすれ違っているように見えた。一期で作品にハマった人の大半は、作品世界の6つ子や赤塚キャラの日常を見たくて視聴している印象である。
アニメにおいて楽屋というかぶっちゃける系のネタで成功しているのは、制作陣が一部重複している「銀魂」が挙げられる。私はこちらもずっと原作ファンですべて視聴したが、銀魂アニメは比較的原作に忠実+αの状態であり、また原作がメタネタを扱うにおいて天才的なバランス感覚をもっているために成し得たと考えている。


それに加えて、23話で3期が開始されてから漂っていた不穏さを決定づける話が放送された。『友』と『IF疑惑』である。個人的には笑えたし楽しい話だったが、最後にこちら(視聴者側)に語りかけられた内容にがっかりした。
『IF疑惑』は『友』のネタを補完するような流れになっているが、『この作品も所詮すべてはイマジナリー、虚構である』というオチである。キャラクターを活かしたギャグとして見れば何も思わなかったのかもしれないが、正直このタイミングでやられると『制作側のいいわけ』に聞こえてしまった。ドキュメンタリーやニュース以外のコンテンツがこれを言い出すと終わりだからだ。すべては生々しいキャラクターが時とともに変わっていく描写であると全編言い張ってくれればまだよかったのに、一期で光っていたメタや時事ネタとは明らかに方向が変わってしまったと思った。
この消化不良の正体は「童貞ニートで少し臆病で、幸せそうなカップルには絡む6つ子」を観ていたはずなのに、「虚構の世界に一喜一憂する視聴者に、楽屋から絡む制作陣」みたいなものが透けてみえた事だと思う。

最後に、残念に思ったところばかりを列挙してしまったが作品を全否定したいわけではない。むしろ続けられるなら可能な限り続けてほしい。3期で面白いと感じた話もいくつかあるし、むしろもの凄く楽しかった時を知っているからこその感想である。
お笑いやギャグというのはかなりバランス感覚が必要な上に割を食いやすく、時世とか見た人の好みとかで評価が簡単に割れてしまう。本来おそ松さんというのはナンセンスギャグ・パロディやオマージュ・共感性羞恥・キャラクター萌えなどをシンプルな絵に詰め込んで好き放題した、「わかってる人は好きなやつ」に該当する作品だと思う。それが思ったより多くの人に愛されたのがすれ違いの始まりかもしれない。

もしシリーズが続いて、この作品が改めてギャグに舵を切るのかストーリー重視に変更するのかは知るところではないけれど「イマジナリー6つ子が大好きだった視聴者」が沢山いて、きっと今後も見守り続ける人たちがいることをどこかで思い出してもらえたらいいなと思う。

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