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ギターと夕日(短編小説。五分で読めます)

「違うんだな~」

ギターを片手になにやらボソボソと呟く女子中学生と猫が睨めっこをしている。

「違うんだって。なーんか違うの。何が違うか、猫ちゃん、分かる?」

猫に話しかけているが、人の言葉が分かろうはずもない猫は動きを止めて警戒するばかり。

「んん~」

眉間に皺を寄せたまま、猫から視線を外して、ポロン、とギターの弦を親指でなぞる。

「違うんだよな」

ともう一度、今度は小さく呟いた。




日差しが肌を刺す。

頬には汗が伝う。

それでもギターを弾く手を、彼女は止めない。

しかし口からはずっと

「違うんだよな」

しか出てこない。

眉間の皺はますます濃くなり、彼女の顔つきは一層険しい。


彼女は今、夜光トンネルと、朝道トンネルに挟まれた公園の中にある、古びた廃墟の屋上で、ギターの弦を鳴らしていた。

物事に意味を見出せなくなった時、自分のやることに自信がなくなったとき、何かを恐れたとき、彼女はいつもそうして屋上にあがりギターを弾き歌を歌う。

だが、一度も彼女の口から

「楽しい」

とか、

「この曲いいかも」

などの前向きな言葉は出てこない。

また、同じ曲を二度と奏でようとしない。

彼女はいつだって、自分の曲に不満足で、だからといって妥協もしなかった。

しかし、弾き続ける。

何度も、何度も。

それが彼女の一種の習慣で、硬い壁を乗り越えるための心の支えになっているのかもしれない。

特に意味はないけど、いつも通りの何かをすると、なんとなく大丈夫な気がする、そういうものがある人は多くいるのではないだろうか。

彼女のギターも、おそらく同じなのだろう。




どこかの昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「ふう」

彼女は右腕で額の汗を拭うと壊れかけたフェンスに近寄って下を見下ろした。

誰かがベンチから立ち上がって、朝道トンネルをくぐっていく。

「……行ってらっしゃい」

小さく呟いて、彼女は顔を上げた。

澄み切った空に、雲はない。

フェンスに頬杖をついて、青空とその先にある薄い月を見る。

「今夜は、満月か。綺麗だろーな」

夜になればくっきりと光りだすであろう月を想って彼女は独り青空の先を見続けた。






気が付けば体が紅く光っている。

だいぶ涼しくもなっていた。

さっきまでの青空は消え去って代わりに紅い空が夜を出迎える支度をしていた。

まだ薄い月のしたから夕日が顔を覗かせている。

彼女は持っていたギターをそっと手から離した。

「夕日を見るのは苦手だ。あの日々を思い出すようで……」

自分の呟いた独り言に苦笑して、彼女はギターを持ち直した。

その顔は悲痛に歪んでいた。


「あの日々」というのは、彼女が友達と戯れて笑った、独りでギターを弾くこともなかった日々のことだ。

ぶつかったり、転んだり、それはそれで苦いけど、楽しい日々だったことは確かだ。

けれどいつしか、時間に追われ、期待に追われ、人の嫌悪の目に襲われ、気づけば立ち上がれなくなっていた。

楽しい時間も、最後の最後には失敗して台無しになるようになった。

それは彼女が少しづつ、自分への自信を失くして行っていたからだった。

楽しい日々も、転んぶ日々も、想像するだけならば、幸福な時間かもしれないが、味わえばいつだって苦いだけだった。

そうして彼女はある日悟ってしまった。

夢見るうちだけが花なのだ、と。

そう思うと必死にもがいてきた今までの疲れがどっと出て、苦しい時間から逃げるために、ギターに頼りこんで心に鍵をかけた。

友達とともに笑い合う時間も、期待に応えたときの達成感も、今までも努力も全部、捨てる覚悟を決めて心に鍵をかけたのだ。

そんな日々を今更夕日の切なさとともに思い出すのは彼女にはたまらなく辛い。

今では夕日もすっかり嫌いになってしまったようだった。


夕日がどんどんと沈んでいく。

「早く沈んでしまえ」

そんな言葉を吐き捨てる。

不意に歌いたくなって、彼女は持っていたギターの弦を優しく抑えた。

息を浅く吸って思いつくままに弦を鳴らし、歌詞を乗せていく。

誰のためでもない、自分のためですらない、ただこぼれそうなこの涙のために口を開いていた。


目覚めて、眠るだけなら、きっと楽だったでしょうね

苦しくて、逃げてすむなら、きっと楽だったでしょうね

誰も居なくて、独りぼっちでも、生きて行けるなら楽でしょうね

そうならないのはなんでかな

そうなれないのはなんでかな

ああ、全部、全部、まどろっこしいよ

切なさなんて欲しくないよ

ああ、月も、朝日も、見ないうちが綺麗で

想うだけなら楽だよ

ねえ

あがいても、苦しいからって

捨てても、辛いんだね

初めて知ったよ

知りたくなかったよ

もう、遅いかな

きっと遅いね

分かってるよ全部

分かってるから辛いんだね


いつもなら、途中で「違うんだよな」と途切れる歌詞もギターも、紅い空の下いつまでも鳴り響いていた。






暗い影が彼女を包み込む。

時計を見れば夜遅く、終電も近かった。

門限なんてとっくに過ぎている。

そろそろ帰らなければ、と体を持ち上げて、家に帰った時のことを想像してみる。

探さないくせに怒鳴り散らす父親

興味のない母親

怒られる私を見て笑う姉

重いため息が漏れた。

重い足を引きずるようにして階段を下りる。

廃墟の二階、がらんとした部屋にメモの端切れのようなものが置いてあった。

不思議に思って拾って広げてみると、おぼつかない文字で短い文章が書かれていた。

勝手にあなたの曲を聴いてしまいました。

ごめんなさい。

けれど、本当に感動しました。

上手く言えないのですが直感的に、あっ、って思いました。

ありがとうございました。

お陰で、きっと明日も生きて行けます。

今度、来た時、またギターの音がしていたら嬉しいです。


彼女はその文章を読んで、また読み直して、を繰り返した。

そうする内に彼女の双眸から涙が溢れる。

「ありがとうございました」も、「ギターの音がしていたら嬉しい」も、その紙につづられているすべての言葉が彼女の心を満たしていく。

文を書きなれている人ではないのだろう。

言葉づかいもおぼつかない。

それでも、全部、彼女の求めていた言葉だった。

大きすぎない感謝も、控えめな期待も、彼女には与えられなかったもので、彼女にとって必要な事だった。

自分を苦しめた、大きな感謝も、過度な期待も、その紙には何一つだってない。

純粋な敬愛の言葉だった。

いつしか彼女の涙は止まらなくなっていた。

明日からは、もっとこの涙に寄り添える歌を、もっと綺麗に、もっと優しく歌えると、彼女は思った。






こんにちは

こんです。

こちらも、あの公園での出来事です。

前回(家で夜を越せない人)と前々回(闇夜の列車)に対応しているので、まだ読んでいない方はそちらも読んでいただけると面白いかな、と思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

前回、前々回、読んでいただいた方もありがとうございます。

これから、五分で読めるシリーズとして、この公園に関する話をしばらく書きたいと思います。

公園での出来事として関連はしていても、その都度終わる短編なので、はじめから読んでいない方も楽しめると思います。

よければぜひ、気持ちが向いたときに読んでいただける嬉しいです。

ありがとうございました!



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