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東国三社巡り その1

新暦の6月1日にパワースポット研究会仲間さんと東国三社巡りに出かけました。西のお伊勢さんと東の三社巡りは合わせて両参りと言われたりします。
明治時代まで、神宮という称号はこの伊勢と東国のうちの鹿島様と香取様の二社だけでした。何故でしょうか?

もちろん古典に詳しい方なら、国譲りの立役者の神様が祀られているから、という事はご存知だと思いますが、何故西側が京都の中心だった時代に東国に二社も神宮があったのか?

息栖神社様の御祭神は久那戸(土)神という道祖神の神様と、天の鳥船様と相殿の神様が、これより北の征伐の先導役をしたという説があります。ヤマト王権の時代です。でも息栖神社様は神宮ではありませんでした。もしこれを讃えるなら、三社とも神宮になるはず…しかも息栖神社は現在の地に移遷されて1200年と、他の二社に比べて新しいので、これは後付けなのではと思います。それでも古くご由緒あり、どちらかというと井戸が御神体ですね。なので久那戸(土)神なのでしょう。

甕の中に井戸があります

鹿島様と香取様が、よく「陰」と「陽」と言われます。陰は水、陽は火で、息栖様が土になるという、易や陰陽五行、星読みの仕掛けのようです。

息栖神社様の一ノ鳥居にある男瓶(甕)と女瓶(甕)。その横に水産工場さんが立っていて、「猿田」と言うお名前で、まさか猿田彦神から名付けたのかと思ったのですが…。だとしたら凄いです。お話を聞いてみたい。

鹿島様や香取様はレイラインにも重なっていますね。
まさに日出る国です。

日本って凄いですね!

謎についてはまたその2でお話ししてみたいと思います。

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