見出し画像

あの日、あの時

目下、人生で2度目の鬱病治療中である。
だが、希望は捨ててない。
1回目の鬱の時に、自殺未遂をした。
しかしながら、その後の選択が大きく人生を変えたからだ。

20年以上前になるが、若い私は小売業で働いており、俗に言う名ばかり管理職を拝命し、毎日朝から晩までずっと働いていた。
酷い時はお店を一人で回し、トイレや食事も取れなかった。
1ヶ月の間に一度の休みなしの時もあった。
交通費は自腹。売り上げの少ない日は、自爆営業もしょっちゅう。

だがある日突然、目の前の全てが空しくなり、やる気が失せた。
様子がおかしいと家族からも心配された。

とある休みの日に買い物で出かけ、家から程近い踏切に近づく私。
そこは通過駅横にある為、特急電車が100㎞以上は出して通過する。

普通の人は音が鳴っていれば、無意識であっても遮断棒手前で止まるだろう。
だが、その時の私にとって遮断されているのは、さも現実と楽園であるかの様に思えた。向こうに楽園がある。でも、閉ざされている。
そう、そこを越えれば楽になれると、衝動的に感じたのだ。
死にたいと思ってはいなかった。でも、楽になりたいと思っていた。
全てが衝動だった。

下を潜ろうと屈んだ瞬間、何かに止められた気がした。
後ろを振り向いたが、誰もいない。
数十センチ先を轟音と共に列車は通過した。

我に返った。

自分のしようとした行動がおかしいと理解できた。
「もう、だめだ」
自分で思った。
すぐに心療内科に掛かり、鬱の診断を受け休職した。

未だに、そこから暫くの記憶は殆どない。
毎日、ずっと眠ってばかりいた。
戻りたくはない、そう思える様になって、すこしばかりの無理をしながら次の仕事を探した。
余り魅力的でないが内定が出たり、魅力的なのに内定が出なかったり。
納得の行く結果にならなかった。

ずっと転職エージェント経由で仕事を探していたが、ふと登録した転職サイトを開いた時、とある業界の募集を見つけた。
学生時代の就職活動の際に、コネまで使って内定を貰っていたが、紆余曲折あって行かなかった業界だ。
今回の募集は、バックオフィス系の営業職。しかも、東京が本社だが募集は地元営業所。
小売業の前はずっと営業職だったので、職種も問題ない。

ここじゃないか?と閃き、細かな事は見ずに急いで応募。
後から詳細を見ると、募集は1名のみ。
それでもここに行きたい、と思った。

その思いが通じたのか、順調に筆記も面接も進み内定。
たまたま友人と飲みに行く道すがら電話があり、内定通知と条件を提示され決定となった。
私にそんな事があったと知っている古い友人だったからか、良かったなと、東京の街角で抱き合って喜んでくれた。
後に面接を主に担当した部長からは、1回目から他の人とは気迫が違っており、ずっと1番候補だったと、嬉しい事を教えてもらった。

その会社からも今は移ってしまったが、業界は変わらない。
きつい業界なのも事実。
だけど、他の業界に行きたいとは今も思っていない。
色々な職種に就いたが、結局今の業界が一番長くなった。

あの時、休んでいなかったら
あの時、踏切を越える選択をしていたなら
あの時、どうせ自分はダメだろうと諦めて応募してなかったら
あの時、古い夢と諦めてたら
今の私はない。

あの時の選択が、最低最悪の状況を変え、今の私を生かしている。
あの時の選択が、今、僅かな希望を捨てずに生きようと思える、
        火種になっている。
あの時の選択が、これからを信じられる成功体験になっている。

だから、今日も生きている。


#あの選択をしたから

自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…