パンセクシャル当事者であるということと、自分が持っているセクマイに関する知識量
まず、私はパンセクシャルである。それはおそらく多分間違いなのである。これを自覚しだしたのは高校二年生くらいの頃からで、はじめて自分が『パンセクシャル』であると言ったのは高校三年生の夏のことである。うっかり、私が口を滑らせたというか、そんな感じで相手が私のセクシャリティーを知り、そして相手もまた同じセクシャリティーであるとカミングアウトしてくるという、おそらく人生でもう二度と経験しないであろうミラクルが起きたからであった。
自分が同性に対していだいたと(おそらく初恋)、高校に入学してから異性を好きになったことで抱いた感情が重ね合わせてみるとピッタリ同じものであることに気づき、私はその時初めて、中学の頃同性の先輩に恋をしていたのだということを知ったのだ。
高校にはいる頃に、セクシャルマイノリティーというものを知りだして、徐々に知識を蓄えていった私は、中学の頃なんて『男性と女性が恋をするのが当たり前』であり、BLは読んでいても百合なんてほとんど知らなかったし、自分が同性に恋しうるなんて想定もしなかったのである。
私は、聞きかじりの知識を蓄積してい中で、自分の恋心を自覚し、あなたはあの時恋をしていたのね、と認めてやることが出来たのだ。
高2くらいまでは『バイセクシャル』であると思っていた。私は多分、男女両方に恋をするのだと。でも違うなと気づきだしたのは、パレットークというセクシャルマイノリティやフェミニズムに関するWebマガジンでパンセクシャルについて特集した記事を読んだことだった。
⬇️多分これ
https://note.com/palette_lgbtq/n/n4a0bc2c0883c
ああ、多分これか。って、しっくり来た。私にはいまいち、男性を好き、女性を好きになるという感覚が分からなかったし、理解できなかった。先述の、互いにパンセクシャルだ、とカミングアウトした友達と常々言っているのは『好きになった人がたまたま男/女だった』、という感覚で、将来私はどんな性の人を好きになるか分からない。男性かもしれないし、女性かもしれないし、男性でも女性でもない人かもしれないし、どんな人なのかは分からない。
高校生活後半から、そんなセクシャリティーだと自覚していても、自分はパンセクシャルだ、と100%言いきれない私がいた。
多分理由は2つ。
第一は母の存在で、母は私を『自分でバイセクシャル(当時はそうカミングアウトした)だ、と言っているけど周りに感化されたり、よくセクシャルマイノリティー関連の記事を読んだりしたから少し憧れ?て自分でそう思い込んでるだけ』と思っている節があった。
今だから客観的に見れるが、母の言動の節々にそういう考えが混ざる度、口では否定しつつも自分の気持ちを疑ってしまう自分もいたのだ。
母はよくトランスジェンダーとレズビアンを混同したようなことを言ったし、私が黒い服を好み、刈り上げ、ツーブロックにしたいなんて話をするとそれはもう烈火のごとく怒った。私がツーブロックや刈り上げ、ベリーショートなんて髪型をやりだして、派手に髪を染め始めたのも大阪に来てからだ。母と私は地元で同じ美容室に行っていたから、なんとなくそれを気にしている美容師さんを困らせたくはなかったし、私の顔を見る度に不機嫌になって母に怒られるのは御免だった。
第二に、そもそも高3で友人とカミングアウトし合うまで、私には同じ悩みを共有する友人などいなかった。記事を読んで自分と照らし合わせる以外に、自分の考えをまとめる手段を持ち得なかったのだ。これはこの国の政策の遅れが生む深刻な問題のひとつで、私達の権利が向上しない限り、私たちは問題共有する機会を持ちえないのだ。社会で私たちが可視化されない限り、私たちは孤独だ。
はっきりいって自分に全く自信が無い私は、自分の考えに対してもちろん自信を持っていない。故に、母のそういう言動でぐらついた思考はさらにぐらつき、本当にパンセクシャルなのか、言葉ではいくらでも言えるけど、
『お前はパンセクシャルじゃないだろ!当事者のフリして!』とバレるんじゃないか、いつか責められるんじゃないか。という不安を抱え続けることになったのだ。実を言うとこの不安がほぼ払拭されるたのは今年のことで、それくらい私は私の考えに自信がなかった。
さて、そんな私の成長過程(?)を説明した上で本題に移りたい。セクシャルマイノリティーの当事者であることと、自身が持つ知識量の話である。昨今の旧統一教会問題で度々報道されている通り、我が国の性教育は先進国の中で壊滅的な遅れを取っている。避妊具やセックスの話を保健体育の授業でできないどころか、生理の話まで男女別々だ。そんな国がLGBTQの理解を図る授業を十分にできるはずもなく、社会か保健で『LGBT』という言葉の意味説明をしてはい終了である。
私の妹にふと、『LGBTってなんの頭文字か分かる?』と聞いたところ、高校2年生の妹はBとTが出てこなかった。
そんな社会で、「当事者だからあなたよくLGBTの歴史や実態をよくわかっているよね」という期待をぼんやりと、しかし確実に持たれている。
当事者だから、聞いて当たり前というのも分かるけど、私がカミングアウトしてる人たちとLGBTQの話なった時必ず私にいくつか質問が来る。
いやいやいや、ちょっと待って。私、知らない。
こないだミソジニーの意味についてググッた。そういう事象については知ってたけど、それを指す英単語については知らなかった。(知ってたけどそれとそれが単語とその意味としてイコールで結ばれることをしらなかった)
LGBTQの話には大抵フェミニズムの話もハッピーセットで着いてくる。女性でパンセクシャルな私はなんと質問するのにちょうどいい存在であろうか!(私がヘテロ男性でも私に聞くわ!)私は質問してくる人々を責めているのではない。
焦ってるのである!!!!!!
まずい、まずいよ。だって私、ほんとになんにも知らない!!
話せることは私の経験談くらいです!
ということで、まずその第1歩としてフェミニズムの歴史についてまず学んでいこうと、今本を読み始めているところです。
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