🛬羽田空港衝突事故の要因

画像1 1991年2月のLAX事故の如く、到着機の着陸間隔は取れていても、滑走路上での衝突回避について離着陸機、管制官とも疎かになってしまった事が、一番の要因です。
画像2 事故直前の搭乗便でも、Rwy34で運用されていました。年始の混雑のほか能登半島地震の影響で延着便が多く、羽田アプローチは大混雑でした。
画像3 衝突事故は1月2日の17:47に発生したので、羽田空港の地上気象状況はMVFR(ギリギリの有視界飛行状態)手前でした。夜間の滑走路灯火は眩く、日航機の乗員はまさかその中に海保機がいるとは気づかなかったのでしょう。
画像4 搭乗便もそうでしたが、恐らく延着機の多くは羽田空域まで最速で飛び、管制の指示を受けながらスポイラー全開で減速して、Rwy34Rを目指していました。余りの過密さに、離着陸の歯車が一瞬外れてしまったのです。

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