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航空機事故から学ぶ:離陸中の火災

離陸中に何らかの理由で航空機が出火したと分かった場合は、決心速度(V1)に達する前なら離陸中止、V1を超過していたら離陸継続するのが原則です。出火の原因、出火の部位が把握できると、より良い対処が出来ることがあります。離陸操作中は、常に異常発生時の瞬間的な判断と対処が不可欠です。

エンジンが爆発・出火して誘導路上で停止:ブリティッシュツアーズ28便火災事故
1985年8月27日、英国Manchester空港からGreeceのKofu空港へ向かおうとしていたBritish Tours28便(B737-236型機)は、午前6時前に乗員8名、乗客129名が搭乗してRWY24を離陸しようとしていた。V1に達する前に左翼からボンッと大きな音がして、機長は訓練中の副操縦士に離陸中止を命じた。左翼から火の手が上がり、ブレーキがロックしないよう注意しながら急停止を試み、Link Deltaを右へ曲がってRWY24から出た地点で停止した。
機長は直ちに機外脱出を命じ、副操縦士とEvacunation Check Listを実施したが、4ページにわたって15項目をチェックする長大な作業で、操縦士らは完了後に操縦席の窓から脱出した。客室乗務員は客室へ煙が立ち込めてパニック状態の乗客を前方左右の非常口から脱出させようとしていたが、火災と反対側の右側ドアが引っかかって開かず、やむを得ず左側から脱出を開始させた。乗客らは我先にと前方へ殺到し、ギャレー脇の狭い通路で押し合いとなって、多くの乗客が暗い客室内に閉じ込められた。客室乗務員は助けられるだけの乗客を前方へ誘導し、最後に自らも脱出した。消防士125人が出動し、2時間半かけて鎮火させたが、54名が死亡確認され、1名が病院で死亡した。
英国航空機事故調査委員会(AAIB)によって直ちに事故調査が開始された。調査官らは左翼下面に大きな穴が開いていること、JT8Tエンジンのcombuster canがRWY24上に落ちていたこと、機体後部は殆ど焼けていないことから、このcanが爆発して翼下面に当たり、翼内のジェット燃料に引火して火災となったと考えた。事故機の左エンジンは加速が鈍くなるので、idlingを調整して対処していた。combuster canは高温に曝されて亀裂が入りやすく、爆発したcanは溶接して亀裂を塞ぐ修理が施されていた。
火災が短時間に広がった原因として、出火した際にreverserを作動させたため、火炎がエンジンから機体の方へ吹き付けられる形となった。実際thrustを絞っていたため、減速させるためにreverserを作動させる必要はなかったと考えられた。
調査官らはRWY24から右旋回してLink Deltaから出て停止したことについて、ちょうど火災を起こした左翼が風上になった向きで停止したため、これが火の回りを早くしたと指摘した。
死亡した乗客の剖検では火傷による者は6名だけで、残る48名はシアン化水素とCO中毒と判明した。機内に装備されていたsmoke hoodは未使用であった。
心理学専門家の監修でボランティアを動員した模擬脱出を行ってみたところ、メインギャレーですし詰め状態となり、避難指示から片側の非常口を使って90秒以内に全員脱出することは出来ないと判定した。
本事故を受けてAAIBは、B737型機の通路を広げること、避難時に床にstrip lightを点灯させること、乗務員には乗客への呼びかけ徹底する訓練をすること、90秒以内の全員脱出を完了させるためにはsmoke hoodは付けさせない方が良いと勧告した。

滑走路やRamp上での火災では、風向風速を考えた停止・脱出が大変重要です。気象条件は操縦士が詳しく、火災状況は客室乗務員が直接目視できるため、インターフォンで素早く情報交換しなければなりません。それで展開させる脱出シューターを決めねばならないのですが、実際そこまでリアルな脱出訓練をしている航空会社は稀でしょう。当月羽田空港で発生した日航機と海保機の衝突事故でも分かるように、インターフォンが使えない場合も想定した連絡・退避訓練は極めて重要です。
この火災事故で客室乗務員は煙で客室内が見えなくなるまで乗客を誘導脱出させていたのに、操縦士はさっさと窓から脱出したのはどういう態度なのでしょう?この航空会社は後年英国航空系列からトーマスクック航空として身売りされ、新型コロナパンデミックで倒産しました。

燃料タンクを破損し出火たまま離陸:エールフランス航空4590便火災墜落事故
2000年7月25日、トイツからの観光客ら乗員乗客109名を乗せたAF4590便Concordeは、Parisシャルル・ドゴール空港Rwy 26Rから16:43に離陸を開始した。アフターバーナーを作動させてVr198ktに迫る180kt通過時にバーンと爆発音があり、管制塔から左翼から火を噴いているとの通報があった。直ちに異常を警告した#2エンジンの消火操作をし、#1エンジンの出力も低下する中、右エンジン2基のみで離陸上昇を試みた。delta翼のConcordeは低速では揚力不足で、故障したgearを収納出来なかったため、上昇できぬまま徐々に左へ旋回していった。正面に位置したルブルジェ空港へ緊急着陸を試みたものの、離陸90秒後にその中間にあったイッシモホテル別館へ激突炎上した。地上で巻き込まれた4名を合わせた113名が死亡した。
仏BEAは直ちに事故調査を開始した。まず管制官への尋問で、離陸前に爆発音と共に左翼から火を噴いたこと、上空での炎は巨大であったとの証言を得た。それは高速道路を走行中に偶然撮影された動画でも確認された。滑走路上の実地検分では、路面にジェット燃料が漏れ、破裂したタイヤ片や燃料タンクなどの部品が散乱していた。Concordeに13ある燃料タンクが満杯だったため、墜落時の火焔は2000℃に達し、機体の多くが焼失した。FDRはこの高熱に耐え、データ抽出に成功した。
Concordeは英仏合作で1965年に完成、2年後に商業飛行を開始した欧州製だが、多層構造の特殊なタイヤは米国グッドイヤー社製だったので、FAAからも調査官が招聘された。Concordeは離陸時のタイヤ破裂事故がそれまで6件あり、1979年には翼下面まで破損した事例があった。それで今回左翼に6カ所ある燃料タンクのいずれかを破壊したと仮説した。一方、近年タイヤは頻繁に交換されていたことと、滑走路面に落ちていた長さ43cm・幅2.5cmの「くの字」に曲がったチタン製部品が事故機のものでなかったため、滑走時に路面に落ちていたこの異物を踏んでタイヤを破裂させ、部品を巻き上げて燃料タンクを損傷したと推測した。同機の離陸前にRwy 26Rから離陸したのはB747とDC10型機であり、それぞれの部品を一点ずつ精査したところ、DC10のエンジンカウルに取り付けるwear stripと判明した。
そして、この部品を落としたのは、Continental航空機のHouston行きDC10型機と推定。FAA調査官がテキサス州に出向いて、ヒューストン空港に駐機していた同機左エンジンにある筈のwear stripが脱落しているのを目視した。カウル表面に付着していた接着剤の成分とリベットの間隔が、滑走路から回収された「くの字形」部品と同一であることも確認された。更にこの部品をConcordeのタイヤを付けた25tonトラックで踏ませたところ、タイヤは破裂した。燃料漏れを起こしたタンクの穴が内から外へ開いていた事について、BEAは模擬テストを行い、燃料タンクはタイヤ片の衝突衝撃では破裂しないが、weat stripでは衝撃波で内部から破裂することを証明した。
BEAはConcordeのタイヤをより強固なものとすること、燃料タンクをケフラで保護すること、滑走路上の異物監視をより頻回にすることを勧告し、事故の15ヶ月後に運航ば再開された。しかし同事故による搭乗率低下に加え、燃料費高騰が重なって、2003年11月26日をもってConcordeは運航停止、全機退役となった。

Concordeの墜落事故は1967年の初飛行以来皆無であったので、この事故は世界中に衝撃を与え、大見出しで報道されました。何が起こったのか正確に判らない中での90秒間であったから、乗組員は経験と直感をもとに死力を尽くした筈です。当初巨大な炎は燃料漏れからの火焔であり、左エンジン2基はアフターバーナーから火を噴いていただけでした。片肺上昇がスペック上無理な以上、後知恵で邪推すれば、マニュアル通りにエンジン消火、燃料遮断せず、無理にでもパワーを出し続ければ、何とか失速せずにルブルジェ空港まで辿り着けたかも知れません。
計器から事故状況を判断するのは難しく、旅客機の操縦席からエンジンや主翼の様子を直視できないのは、実に歯痒く感じることがあります。


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