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航空機事故から学ぶ:同社機で起こったコリジョンコース

同一会社機の空中衝突事故・2001年5月19日、中日本航空所有のアエロスペシアルAS332L1型機(訓練ヘリ)が午前11:02に、その13分後に同社のセスナC172P型機(訓練機)が、名古屋空港Rwy 16を離陸した。
訓練ヘリには54歳の教官と回転翼の事業用操縦士技能証明をもつ同社社員の訓練生39歳の2名が搭乗して2時間のIFR訓練を、訓練機には51歳の教官と自家用操縦士技能証明をもつ52歳の訓練生が搭乗して、1時間の完熟飛行訓練を予定していた。飛行計画で、訓練機には教官と訓練生の2名が搭乗するとファイルされたが、実際は訓練生の知人2名が後部座席に同乗していて合計4名となっていた。訓練ヘリの飛行は前日に決定していたが、訓練機の方は当日の決定であったため、同社の運航管理者は訓練機の教官に、同時刻に中部近畿訓練空域KC1-1空域で訓練ヘリが飛行することを口頭で伝えていた。
両機は名古屋空港を離陸後、それぞれ南西方面へ飛行し、CK1-1空域へ向かった。訓練ヘリは11:06に名古屋空港管制圏を離れ、11:12頃CK1-1へ入域して、(恐らく訓練生はフードを装着して)基本的な計器飛行訓練と思われる標準旋回による上昇や降下を行いながら飛行していた。訓練機は11:19に名古屋空港管制圏を離れ、11:25にはCK1-1へ入域した。その当時、高度2,000ftで薄い靄がかかっていたが、雲はなく、視程は10km、南南東の風5~10kt程度で、穏やかな天候であった。
11時25分55秒ごろ、訓練機は訓練ヘリの左前方約60°で水平距離約1.8kmの地点を飛行していた。高度は両機ともに、約2,000ftであった。11時28分30秒ごろには、訓練機は高度約2,000ftで、訓練ヘリのほぼ正面、距離約3.2kmの地点を飛行していた。
訓練ヘリは11:30には、空港の南西15NMを多度山方向から高度2,100ft、対地速度100ktで南へ飛行していた。同時刻に訓練機は、空港の南西16NMを高度2,100ft、対地速度85ktで南西へ飛行していた。訓練機が左旋回して南東へ進路を変えた際、両機の交差角が約35°、訓練ヘリから見た訓練機の位置(方向)が右前方55°、訓練機から見た訓練ヘリの位置(方向)が、訓練機の死角にあたる左90°の位置で、衝突コースに入った。
11:31頃、両機はCK1-1中央部のBravoエリア(上限高度2,000ft)内の、長良川河口にかかる伊勢大橋の西、三重県桑名市播磨神社と大和小学校の中間付近の上空で衝突。
訓練機の斜め左前方に訓練ヘリがいたため、訓練ヘリのメインローターブレードが訓練機の左主翼ストラッドにまず衝突した。そして他のブレード次々に訓練機の胴体部分に衝突したため、訓練ヘリは分解して墜落炎上。訓練機は炎上しなかったものの大破して、両機の搭乗員6名は全員死亡した。衝突地点周辺に部品が散乱して落下し、住居2棟、自動車2台などが炎上。桑名市広域消防が総動員され、13:22にようやく鎮火した。この空中衝突で、地上では1名が負傷した。
事故調査委員会が実地検分したところ、訓練ヘリのメインローターブレード4枚は中心から1mの長さで破断。訓練機は地上に駐車していた自動車に真上から衝突し、駐車場の舗装面を17cmえぐって自動車に乗り上げていた。2枚あるプロペラの1枚はハブから45cm残して破断していた。
訓練ヘリのELT(121.5と243MHz)から、11時31分01秒より5秒間信号が発信された。その残骸からは、GMDSS(Global Maritime Distress & Safety System)信号が発っせられ、翌日ELTが墜落現場から回収されるまで発信を続けていた。訓練機のELTは機体の損傷で破壊されたため、発信はなかった。
訓練ヘリは11:06に名古屋空港管制圏を離れた後、名古屋Twrの周波数をモニターして、訓練機が後続していることを確認できたかは、訓練ヘリの無線機が焼損したため、不明であった。
訓練機のVHF無線機のNo.1は同社のカンパニー周波数、No.2は名古屋Twrにセットされていたのが現場検証で確認された。また訓練機のNAVチャンネルは、2台とも名古屋VOR/DMEにセットされていた。
両機のトランスポンダはモードCにセットされ、気圧高度計は29.83inHgにセットされていたことが、名古屋空港のレーダーデータで確認された。
事故調査委員会は、両機の見張り不充分、衝突コースに入っていたが操縦席からの死角があったことを、空中衝突の主な原因とした。
また事故調は管制機関(TCA)のモニター、air-to-air共通周波数の利用、さらに小型機用の衝突防止装置の調査について勧告が出された。

訓練ヘリのVHF無線機は焼損してしまいましたが、慣習としてNo.1は中日本航空のカンパニー周波数にセットされていたので、訓練機が自機に続いて名古屋空港を離陸したことは確認できたでしょう。しかし、訓練機からの社内交信でCK1-1へ入域するとの具体的な送信はなかったため、訓練ヘリの乗員らは訓練機が後を追ってきていることを確認できなかったようです。事故調査報告書では、訓練ヘリの教官が訓練機が同高度で入域してくることを知っていたら、衝突前に訓練機を発見できていた可能性があると指摘しています。
他方、訓練機の方は高翼のセスナ機で、左90°から接近する訓練ヘリを目視するのは困難であっただろうと、報告書では結論しています。後部座席の二人のうち一名は飛行訓練を受けたことがある経験者であったそうですが、訓練ヘリを探すよう前席から見張りを手伝うよう要請されていたとしても、あまり期待できなかった筈です。
事故の前日、同じ訓練ヘリに同じ教官と同乗して訓練した操縦士は、「訓練空域でのVHFの周波数は、名古屋TCA(現セントレアTCA、119.15MHz)と航空機相互間の通信周波数である122.6MHzをセッティングし、モニターしていた」と証言していたそうです。然らば、名古屋TCAは訓練ヘリに対して、訓練機の接近を伝えられなかったのは何故かと感じます。もし、訓練ヘリがTCAと交信設定していなかったため、異常接近を指摘されなかったというのであれば、何のためにTCAがあるのか分かりません。
訓練機の方も、名古屋TCAの周波数をセットしていれば、訓練ヘリと同一周波数でCK1-1への入域や飛行位置を情報交換できた筈です。この点、名古屋TCA管制官への聴き取り内容は、事故報告書に明記されていません。

日本には大小120もの民間訓練空域があり、大都市周辺の訓練空域では空港を離発着するVFR機との接近にも注意しなければなりません。
狭い日本で有視界飛行をする際に、VHF無線とレーダーによる対空監視は、空中衝突回避のために必須です。近年日本では北海道や北東北で管制空域を広げて、航空機に直接飛行指示を出せる管制官が航空機間のセパレーションを担保するようになってきました。このようなACA空域は南東北(山形)や、週末や祝日の築城ACA(山口、愛媛、福岡に囲まれる周防灘)などにも適用されると良いと思います。
それでも管制官が、空域内の全ての航空機に目を光らせられない事は度々あります。そのため米国では2020年に、ADS-Bという新しい航空機位置情報システムを全ての小型機に装備が義務付けました。これはモードSという画期的なシステムで、小型機上でもタブレット端末などで自機周辺を飛ぶ航空機の位置、高度、進行方向と対地速度が表示されます。Class B空域以外では、もはや管制官要らずになっていて、管制官の再配置が進行中です。
他方、日本ではモードCトランスポンダで飛行可能のまま。モードCで対空接近機が感知されるZAON flight systems®️は、日本では価値があるものの米国では最早不要で、十数年前に発売中止となってしまいました。

今回2回に分けて、コリジョンコースの怖さと実際国内で発生した事故について考えてみました。上空で2つの航空機がコリジョンコース上に入ることは、滅多に起こることではありません。また相手機が止まっているように見えるため、コリジョンコースに乗っていることを直ぐに認識出来ない事があります。危険が差し迫っていることに気付かぬまま、みるみる引き寄せられるように接近して、衝突してしまいます。
今回取り上げた2件の空中衝突事故では、音声記録がないためエアマンがどの段階で急接近を認知したのかハッキリしません。目視、認知、回避行動を直ちに行えるよう日常からコリジョンコースを意識し、シミュレータで訓練しておくべきです。
航空法ではレーダーで飛行管制されている時でも、エアマンに見張り義務を課しています。前方から斜め前方を両目でスキャニングするだけでなく、飛行密集空域内では、大きく首を左右に振って、両翼の後縁まで見張りする習慣をつけましょう。小さな不断の努力が、いつか甚大な負の代償を回避します。良きエアマンの皆さんは、これら2つの事故で命を落とした人たちから学んで下さい。

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