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航空機事故から学ぶ:真冬の突風

真冬のポルトガルでの事故:1992年12月21日、Martinair 495便(DC-10型機)はオランダのAmsterdam空港からポルトガルのFaro空港へ340名の乗員乗客を乗せて飛行していた。
機長(56歳)と副操縦士(31歳)、それに航空機関士(29歳)は雷雨のなか、Rwy 11へアプローチしていた。先行機はいずれも無難に着陸出来ていたが、滑走路にはかなりの浸水があると通報されていた。同社で同型機の飛行教官も務める機長は、positive landingする(主脚を滑走路面までしっかりtouch downさせる)ことをcrewへ宣言した。
地上の風向風速は150°から15kt、突風15ktとATCから報告され、同機は560ftで自動操縦が解除された。左主脚をガクガクと揺らしながら、右側を5°ウイングローにしてフレアをかけたが、19:33に滑走路へhard landingした。接地とともに右主脚が折れて右翼根が破断し、機体がバラバラになって、炎上して止まった。この事故で、乗員乗客の56名が死亡した。
ポルトガル航空機事故調査委員会(DGAC)の調査官と米国NTSBからの調査官らが直ちに実地検分を行い、滑走路面に2インチもの傷が残っていることを発見した。エンジンは正常に作動しており、(油圧系統に混入した金属片を磁力で吸着する)magnetic tip detectorの検証等により滑油系統にも異常がなかったことが確認された。 右主脚が破断しており、着陸重量過多が疑われたが、最大重量424,000Lbのところ事故時には353,000Lbであり、重心にも問題はなかった。主脚の金属材質を検査するためVickers Hardness Testが行われたが、結果はHV=658で材質に問題なかった。
生存した3名の乗務員への聞き取りでは、機体の揺れと突風による沈下率増大があったことが証言された。ATCへの聴取では、先行機の着陸に支障はなかったとのことだった。windshearの警報は、事故後に出ていたか?程度との事だった。
CVRを解析すると、機長がpositive landingを宣言し、「機速が遅い」、"throttle!"と声を上げた後、機体がバンッと着地した音が残っていた。この状況をFDRを併せて分析すると、機速は139ktから145ktへ上昇したりして不安定であった。機速が抜けてauto-throttleが102%まで急上昇していたが、その後副操縦士によって40%へ手動で急減されていた。機長が慌ててthrottleを入れたが間に合わず、これがhard landingになった原因と判明した。
オランダの気象機関は事故当時にwindshearが地上700ft、600ft、それに200-110ftの三層に発生していた可能性をまとめた。事故当時Rwy 11では35ktの突風であったと考えられた。ATCへこの点を再確認したところ、誤ってRWY 29側の突風値を伝えてしまっていたことが分かった。
DGACはMartinairに対して、windshear下での適切な回避操作に関する訓練徹底を勧告した。Faro空港のw/s感知器も改善が施された。

これほどの風雨とwindshearがあるのに何故go aroundさせなかったのか?という疑問が沸き上がりますが、先行機が無事に着陸していると、後続も大丈夫な筈というconfirmation biasが心に沸き上がるのかも知れません。老練な機長がpositive landingさせると決意表明し、管制官が40°右側から15~20ktの風と告げられると、そのまま行けると感じてしまったのでしょう。前回の真夏の突風と同じマインドセットてす。地表すれすれの高さでwindshearが発生していると告げられていたら、auto-throttleの急反応をみて、直ちにTo-Gaを入れられた筈です。乗員間でPlan Bをしっかり確認していたら、避けられたかも知れない事故でした。

一般的にwindshearは長く続いても20-30分ですから、無理をせず上空で待機して様子を見るのがベストな筈、と心のゆとりを持ちましょう。
かつて着陸時に前線の通過に遭遇し、管制官からこれから天候が更に悪化すると告げられて、強引に着陸を試みたら、メインギアのタイヤをバンクさせてしまったことがあります。確かにその後、天候は悪化しましたが、急速に回復して30〜40分もすると鮮やかな夕陽が見えました。血迷った自分に赤面したものです。


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