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航空機事故から学ぶ:道連れで2基落ちた②

腐食して落ちた:1992年3月31日、ルクセンブルク空港からナイジェリア北部のKano空港へ向かうTrans-Air Service 671便(Boeing 707型機)は、ベテランの機長と旧知の副操縦士および航空機関士らと貨物管理者および整備士各1名を乗せて、早朝より7時間のフライトへRwy 24を離陸した。Trans-Air Serviceはナイジェリアの貨物航空会社で、同便はKabo air cargoの総飛行時間が6万時間を超える老朽化した機材を使用していた。
French Alps上空29,000ftを飛行中に乱気流に遭遇し、機長はFL330へ上昇許可を得た。9:10amに突然バンッと大きな音がして、機体は右へ大きく傾いた。機長は何とか機体を水平へ戻すべく、左へ舵を切った。第3と第4エンジンが出火したとの警報があり、副操縦士が右翼を確認すると第4エンジンが脱落しており、その状況を写真に収めた。機長は直ちにMaydayを宣言したが、機体は制御不能なまま8~9,000fpmで急降下していた。ATCは同機の機影がレーダーから消失して位置確認できないと伝えた。
機体はAlpsの上空で厚い雲中に入り、地上への激突が懸念されたが、機関士が電源を第3エンジンから第1エンジンへ切り替えたところ給電が再開され、ATCも同機のトランスポンダの信号を受信できるようになった。機長は75NM離れたMarseille空港への緊急着陸を要請し、ATCは左旋回180°で直行するよう指示した。雲下に出て山肌が見える状況になったが、乗員は第3エンジンも脱落してないことを知った。同機の最大着陸重量は112tonであり、機関士が燃料投棄するかと機長へ尋ね、早速投棄を開始した。第1燃料タンクの燃料がなかなか投棄出来なかったため、機関士が確認したところ、circuit breakerが落ちているのに気づき、直ぐに押し込んで燃料ポンプを作動させ、投棄が進んだ。
機長がMarseille空港の気象状況をATCに確認したところ雷雨で、乱気流も発生しており、緊急着陸には向かない天候であると分かった。すると眼前6NMに13,000ftもの長大な滑走路が目に入り、Istres-Le Tube空軍基地であったので着陸することとした。風向風速は330°/10ktで、Rwy 33への着陸が許可された。
機長がFlapを展開すると右翼より出火し、Rwy 33へうまくline-up出来なかった。副操縦士が#1と#2のthrottleをうまく絞って、320°/10ktながらRwy 15へ回り込んでline-upさせた。機長は通常より50kt早い速度で機体をtouch downさせ、油圧ブレーキが作動しないので緊急ブレーキを使って、2,700m先の滑走路脇の草地に機体を停止させられた。乗員は5名全員が緊急脱出し、機体も右翼が延焼する程度で鎮火した。
フランス航空機事故調査委員会(BEA)は、右翼の火災はflapを展開させた際の電気系統の火花が燃料漏れに着火したものと認定した。FDRを解析して、第3と第4エンジンは同時に停止したことを確認し、Marseille空港から55NM北東のSedeson山中に2基のエンジンが墜落しているのを発見し、回収した。第4エンジンには第3エンジンが当たったと思われる凹みと塗料が付着しており、第3エンジンが強い乱気流で右翼から脱落し、それが第4エンジンに衝突して落下したものと結論した。
破断したpylonのボルトを顕微鏡で観察すると、corrosion pitが直線状に並んで見つかり、まずエンジンを懸垂する中央内側の留め具が破断し、その後外側と前後の残り3つの留め具が次々と破断して、第3エンジンが脱落したと結論した。
1990年代当時、ナイジェリアの航空会社では航空機整備が杜撰で、同国の航空機は英国への乗り入れが禁止されていた。本事故も整備不良が主原因かと考えられた。
この事故から約1か月後の4月25日に、米Miami空港を離陸したB-707型機からもエンジンが脱落する事案が発生した。NTSBの調査では同機の整備状況は適切であり、必ずしも整備不良が原因ではない可能性も考えられた。事故調査報告書ではpylonのアクセス・パネルの小窓から内部全体が見渡せないなど設計上の問題も指摘された。

この事故を検証してみて、乗員全員が力を合わせて困難に対処したことが分かります。敢えて誰が機転を利かせたかというと、航空機関士だと思います。ます給電するエンジンを第1エンジンに変えてみたこと。更に緊急着陸するに当たって、早い段階で燃料投棄の是非を機長に上申していたこと。更に燃料投棄がうまく行かないと分かった時に、すかさずサーキットブレーカーが抜けている事に気付いて対応した事です。
緊急事態となると、ただでさえも頭が回らなくなるところ、冷静て客観的に状況を把握して対処するのは、なかなか出来ないことです。機長と副操縦士だけでは、ここまで対処し切れなかった可能性があります。
老朽化した機体であったかも知れませんが、その分老練なクルーは機体を熟知していたでしょうし、また長年一緒に飛んでいた気のおけない仲間で乗務していた事も、プラスに作用していた筈です。こういう職場環境で仕事が出来るのは、中小航空会社の利点だと感じます。
次週は、このようなcrew coordinationが奏功しなかった事例を考えます。



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