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航空機事故から学ぶ:試してバッテンの着陸

1996年11月19日、United Express 5925便(Beechcraft 1900C型機)は、米国Illinois州のQuincyからBurlington⇒Chicago⇒Terre Haute⇒Bloomington⇒Quincyの周回運航で、乗客10名を乗せて最終目的地へアプローチしていた。Quincy空港の天候は060°/8kt、視程12SMで、Rwy14かRwy04を使用する状況だった。

目的地がNon-tower空港のため、13NM手前で同便の機長はcommon周波数を使ってtrafficがないことを確認した。彼女はMinesota州にある飛行学校の家庭に育ち、16歳でsolo飛行をして、30歳で既に機長として同機を操縦していた。Rwy04からはKingairがこれから離陸する旨の送信があった。送信したのは女性パイロットで、双発ターボ機に慣れるため右席に搭乗した。教官役で左席に座っていたのは、元TWAの機長だった。

5925便の機長は、Kingairがhold short Rwy04と送信したのを受けて、24歳の副操縦士にRwy13へ着陸すると伝えた。着陸直前に別の男性pilotが"Cherockee7346J, …Ga,Ga,Ga,Ga…..#2 after Kingair"と送信して、Kingairの後ろで一緒にhold shortしているかのような情報を発した。

United Express 5925便はRwy13へ接地して滑走していると、右手からKingairが離陸滑走しているのを視認。5925便の操縦士は慌ててブレーキをかけたが間に合わず、滑走路の交差点で両機は衝突した。

Kingairは大破したが、United Express 5925便の機体はあまり破損せず、炎に包まれた。同空港で飛行教官をしていた男性は5925便機長の知り合いで、外から必死にドアを開けようとしたが開放出来ず、機長がOpen the door!と叫ぶも、火炎の強さで逃げざるを得なかった。自分がlast hopeだったのに...I'm failed.と教官は項垂れた。両機は機体が完全に焼け落ち、United Express 5925便の乗員乗客12名とKingairの乗員2名が焼死した。

NTSBの事故調査官は滑走路面に残ったタイヤ跡を検証し、ドアが何故開かなかったのかを検討した。更に両機の操縦席をモックアップして、操縦席から相手がどのように見えたかを検証した。Kingairが左手からの着陸機を度外視して、勝手に離陸を始めたことが衝突事故の直接原因と考えられた。

Kingairの機長は空軍の予備役パイロットで、TWAでは実地試験に2回不合格し、F/Eへ降格となった経歴があった。本事故の前にもgear-up landingの事故を起こしていた。急ぎやすい性格があり、当日の晩も早く帰宅しようという意思が働いていたと推測された。

Piper Cherockeeの機長はdouble transmissionがあったものの、KingairとCherockeeがRwy04で共に待機しているような誤解を与える送信をしてしまったため、United Express5925便は着陸してしまったと考えられた。

日本には滑走路が交差する空港は八尾空港(RJOY)など少ないですが、北米では普通にあります。Non-tower空港で交差する滑走路を離着陸する際には、細心の注意が必要です。向こう見ずなパイロットがいれば、runway incursionは起こり得るのです。

5925便がGa,Ga,Ga,Ga…とdouble transmissionを受信した時、もっと用心深い推測をすべきでした。つまりCherockeeと同時にdouble transmissionしたとすれば、それはKingairだった可能性が高いからです。せっかちな元機長がこのタイミングなら先に離陸できると考えて変心し、"We're rolling Rwy04"とか一言発したのではないかと。

Quincy空港のような交差する滑走路のtrafficで、皆がもっと用心深い監視と意思疎通をしていれば、事故は防げたかも知れません。Kingairが滑走しても、Cherockeeの機長が、Kingairが滑走し始めたことを5925便に知らせてあげたら、5925便はRwy04方向へ左旋回でgo aroundして、最悪の事態は回避出来た可能性があったでしょう。まさに全員が判断ミスした一瞬でした。少なくとも機長は副操縦士にRwy04を注視させておいたら、衝突は防げた可能性が高まったでしょう。

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