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1200段の階段を登って考えた「あまりよく知らない人と深く関わろうするときに大切なこと」【スリランカ】

「あまりよく知らない人」と関わるとき、
どういうときに「信じよう」と思えるのだろうか。

様々な国を訪れる機会をいただき、慣れない土地ではじめましての人と出会う機会が多かった中で、よくこういった場面に遭遇した。
もうだいぶ前のことになるが、スリランカを訪れ、見ず知らずの人の家に泊まった当時の私の答えは、
「裏切られてもいいと思えるかどうか」だった。

スリランカには、シギリヤ・ロックという神秘的な岩がある。
世界遺産にも登録されているこの地区は、様々な人がシギリヤ・ロックをのぼるために集まってくる。

シギリヤ・ロック
スリランカの滞在写真は、PC引継ぎの際に全部消えているので、
フリー素材を利用しています…

当時、バックパックを背負ってひとりで道中をのぼっていた私は、スリランカ人らしき家族連れの人たちと仲良くなった。お父さんお母さんに高校生・中学生の娘さん2人と、いとこの親戚家族2人の計6人くらいだったと思う。
特に高校生の娘さんが私と仲良くなったので、一緒に3時間近く1000段近い階段を登り、景色の良い頂上についた時には一緒にお茶をした。

シギリヤ・ロックの階段。怖い。

下り道を一緒に歩いていて、もうすぐお別れというとき、娘さんと話していたお母さんから「わが家に泊まりに来ない?」というお誘いを受けた。
私が今日近くのホステルに泊まり、明日には大きな都市であるコロンボに戻るという話をしたからだったと思う。

ここまでの時点で、「いや、見ず知らずの人の家に泊まるなんて危ないでしょ」という感覚を持つ人が多いと思う。なかなか日本だと見知らぬ人に招待されるという機会がないので、至極まっとうだと思う。
けれど、当時、海外で長く滞在していると、知り合った人からお家でのごはんを誘われることはしばしばあった。
とはいえ、私自身、宿泊のお誘いまでいただいたのは初めてだった。

今思い返すと危なっかしすぎて同じ行動をするかわからないが、その時はその家族についていき、車に乗って彼らの家で一泊お世話になった。別の観光地に行ったり、夜ごはんをご一緒したり、おやつを食べに行ったり、娘さんたちとサリーを着たりと、楽しい時間を過ごさせてもらった。
(これはあくまで結果論なので、こういった行動を推奨しているわけではありません。各自で判断してください!)

ダンブッラ寺院博物館。
色々な意味でインパクトがある外装。

私が特に気を付けたことは、
・車に乗るときに、ドア側の座席に座らせてもらい、何かあったら降りられるようにしていたこと
・財布などの貴重品は肌身離さないようにしたこと
・荷物の量の増減に気を付けることの3つくらいだったと思う。

今振り返ると恐ろしい気がするが、当時はめぐってきたご縁や機会に感謝して、好奇心だけで飛び込んでいた。
なにより、その時に迷って決めた理由として考えたのは、「この人たちだったら裏切られてもしょうがないと思えるかどうか」だったような記憶がある。
シギリヤ・ロックを話しながら登った家族と話が盛り上がり、もう少し話してみたいと思ったこと、自分がこの人たちに騙されとしたらしょうがない、自分の責任だと思っていた気がする。

当時は1年近く海外に住んでいたあとで、様々な国にバックパックで旅行をしていたが、その中で良い出会いもあれば、自分の落ち度で騙されたこともあった。
その際、当時自分が「あまりよく知らない人」と関わるときに決めていたのは、「この人たちを信じる」と自分で選んだと認識することだった。

幸運なことに、スリランカ滞在での私の出来事は、良い思い出として自分の記憶に残っている。
自分のミスで、スリランカ滞在時の写真はすべて消えてしまっているが、泊まった家の家族に真っ赤なサリーを初めて着つけてもらいながら、いろんな将来のことを話したり、当時の自分の出来事を話した時間は、私にとってはかけがえのないものになった。

実際は、裏切られてもいいなんて思えることは少ないと思うし、本心では裏切られたくなんてない。
当時(というより最近まで)「信じる」の定義の中で、「裏切る」というやや強めの言葉を選んでいた。
今振り返ると、自分の期待と異なった状況になった場合、約束したことを反故にされたという相手への悲しみや怒りと、その相手を信じた自分への情けなさも大きかったので、強い言葉を使っていたのだと思う。
それでも、今思えば、「自分が信じると決めた」という過程を、自分の中で、はっきり認識することが重要だったのだと思う。
自分がネガティブに感じることをされたとしても、「まあ自分で選んだしな」と思うと、相手に必要以上な期待を押しつけず、自分の中での納得感も得られていたように感じている。

最近は、コロナ禍の影響もあり、旅に出たり海外に行ったりすることもなかったが、
引き続き「自分で選んだ」という過程や納得感をもつことは、これからも意識していきたいと思う。


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