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上司は異文化交流

「上司と接するとき、自分が海外の支社で働いてるって思えば、異文化交流だと思えばいいじゃない?」

5月くらいから続いていた、本質ではない部分での所属部署とのすり合わせでかなり辟易していた私にとって、これまでで一番納得感のある例えだった。

ここ最近、体調が優れないことに加えて、上司との仕事に対する価値観の認識が異なっていて、かなり疲れていた。
「仕事の成果」という比較的定義しやすいと思う内容でも、
同じチームである直属の40代の上司、そのさらに上の50代の上司とのやり取りが上手くいっていない。
同じチームの同僚からは「諦めて流すことも大事だよ」と言われた。
部分的に何度か折れたものの、あまりに平行線の議論に、
もう対話なんてしても無駄じゃん、諦めようと思っても、
心の中では納得できていないので、ストレスが身体に表れている。

他の部署や、他会社の友人に相談しても
「すごく固いひとたちだね」「それってパワハラになるんじゃない?」という、私の実感と同じような感想になんとか支えられつつも、
じゃあ「今」や「明日」を乗り切らなければならないときに、
どうしたらよいのかわからず、日々しんどく感じていた。

そんな中で、毎週話している友人との電話の中で相談したとき、
「価値観の話になると物事は進まない」という話になった。
そこで出てきたのが、冒頭の言葉だ。

「こむぎちゃんも海外の支社で働いてるって思えばいいんじゃない?異文化交流だと思って上司と接すると気持ちが楽になるかもよ」

例えば、ある地域では「お酒を一緒に飲んだ人でないとビジネスが進まない」という文化があるとする。
そうなったら、自分がおかしいと思うかどうかではなく、
その人たちの道理や習慣に合わせるしかない。
そうでないと、商談が進まないからだ。

この話を聴いて、私はすごく腑に落ちた。
他者の価値観を尊重するということが、どれだけ難しいことか、
「郷に入っては郷に従え」ができていなかったかを痛感した。
もっと自分自身にできることはあるなあという反省もあった。

なんて書いてみる一方、このnoteには素直な感情で書きたいとも思っているので、
「でもその『郷に入れば郷に従え』って、すべてに当てはまるわけじゃないよね?」など、ひねくれて考えている自分もいる。
とはいえ、今回友達が話してくれた考え方を使えば、
もう少し腹落ちして前に進めそうだという確かな手触り感があった。

納得感を持つ一方、
「なぜ『海外の人と働いている』と思うとここまで納得感がもてるのか」が不思議に感じた。
以前、海外で現地の人や、いわゆる日本人以外の人たちが大多数の中で働いている時は、
「この仕事のやり方謎だな」と思うことはあっても、
最終的にはその国の文化や相対する人のことを尊重できていた気がする。
それは、当時あまり違いを深く考えなかったからかもしれないが、
「この人はこの人だよな」「この人はこういう考えなんだな」
と思っていたので、たまに自分の中でむっ!といらつきを感じても、
そこまでストレスを強く感じることは少なかったように思う。

海外の人の文化や価値観は尊重できて、
日本で、(いわゆる)日本人の人たちと働いているときには、
自分はどうして同じようにストレスなく働けないんだろうか。

きっと、
・どこかで「おなじだろう」と思っていたり
・「同じような社会を目指すためにこの会社を選んだ人たちが集まっている」と思っていたりなど、
それはある種の勝手な期待をもちすぎているから、
自分の理想や想像と当てはまらないときに、ストレスを感じるのかもしれない。

また、最近観た映画「パーフェクトブルー」でも、
作中で「インターネットってなに?」というセリフが出てくる。
この映画は1997年に放映された作品で、主人公がマネージャーにパソコンを使ってみたいというところから、セットアップをやってもらっている一場面があるのだ。
そのセリフを聴いた時、現在では小さい子でも当たり前に触れている「インターネット」も、当時は限られた層でしか使っておらず、
その時代から今の会社で仕事を続けてきた直属の上司たちのことを考えると、考えをすり合わせることへの期待を押し付けてはならないな(諦め)、と思ったのだった。
同じように、これからの世代とのギャップを私自身も感じていくことが多いだろうから、知ろうという姿勢を忘れずに年を重ねたいとも思った。

ここ最近観た映画で一番ぞくぞくとする「映画体験」だった。

その国にだって、いろんな人がいる。
どんな時代を生きてきたかも、人による。
これまで訪れてきた国だって、例えば同じ場所に行った人でも、
ポジティブな感想を持つ人も、ネガティブな感想を持つ人もいるだろう。
大まかな情報や傾向を掴んだうえで、
「じゃあ今接している〇〇国(←自分の所属している部署を「国」と例えて)はどんな人で、どんな文化なんだろう」と
少し距離を置いて考えることが、自分には大事なのかもしれないと思った。

最後に、友達のおまじないを。
「違う価値観を尊重できる自分えらい!」



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