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いつだって比べる相手は他人じゃない

入社10年超の先輩2人が受け持っていた部署。

そこが新社会人になったわたしの配属先で、
11月、入社7ヶ月目にしてわたしの部署は一人になった。



何度も何度も「ごめんね」と謝って10月末で転職してしまった先輩は、わたしの社会人としての基礎を作ってくれた人だった。

メールの書き方、電話での受け答え、仕事の優先順位の付け方、移動中の会話、役員との付き合い方、ミスをした時の対処方法、資料の作り方。

わたしはその先輩の仕事のやり方が好きだった。
この先輩の真似をすることが、仕事が出来るようになる一番の近道だと信じて疑わなかった。

一番の売り上げを上げている営業の先輩も「良いなあ、○○さんの部下だなんて。わたしも教わりたかったな」と言っていたのをよく覚えている。

実際、転職してみてもこの先輩を超える人には出会えていない。
メールの書き方が丁寧、だとか、仕事が早いね、だとか、そういうことを言われるたびに当時の先輩を思い出す。すこしくらい近付けていると良いなあと思うけれど、わたしなんてきっとまだまだなんだろう。

仕事で躓くことがあった時に「こんな時、先輩だったらどうするだろうか」と考えることがわたしにとって一番の解決策だった。



配属された部署は覚えることが多く、社外の人との関わりも多いため、同業他社でもベテランが配属されることが多かった。
そのため、新卒でその部署に入ったわたしは社外の方々から随分と可愛がってもらえたものだ。

先輩が転職した後、社会人になってまだまだ分からないことだらけだったわたしを助けてくれたのは社内の人ではなく、同業他社の社外の人たちだった。

「こむぎちゃんいつでも質問していいからね」
「よくここまで仕事覚えたよね、すごいね」
「こむぎちゃん、この仕事お願いしたいんだけど」

社内には頼れる人がいなかった。
「わたし一人じゃ仕事がまわせません」と相談しても「でもやるしか無いだろ」の一点張りで何の解決もしなかった。


頭では「仕方ない」と思っていても、身体は駄目だった。


二年目の夏頃から毎日のように体調不良が続いた。

「お腹が痛い」ではなく「胃が痛い」というものを体験した。
気持ち悪さ、眩暈、倦怠感、頭痛。
会社に遅刻したり、出社しても途中で横になって休んだりすることが増えた。帰りの電車で具合が悪くなってしまったらどうしようという不安に駆られてタクシーに乗って帰ったことも何度もある。

友人と遊んだ時に仕事の近況を話すのが億劫になった。
「今こういう仕事をしていて」「○時まで残業している」「今朝も会社行ってからここに来た」そんな会話を聞くと、自分はまだまだ辛く無いんだと思った。


わたしよりも、みんな、働いている。
わたしよりも、みんな、疲れているはず。

わたしも、もっと、頑張ろう。



11月のある日。
電車のドアが閉まるのをホームで見送った。

乗らなかったのではなく、乗れなかった。

会社に「具合が悪いので病院に行ってから出社します」と電話を入れ、後回しにしていた心療内科へ初めて足を運んだ。

うつ病の手前、自律神経失調症だった。



あれから約1年半。いまは転職して元気に働けている。

それでも前の会社があった路線に乗るのは未だに怖い。
出来るだけ乗りたくないなと思ってしまうほど。

また前みたいに働けなくなったらどうしよう、という恐怖も常に心の中にある。いつ電車に乗れなくなるかなんて分からない。

毎日体調が悪かったあの頃にはもう戻りたくない。



同級生や知り合いのSNSを見て「この人こんなに残業してるんだ」とか思うことってあるかもしれない。
けど、それを見て「この人がこれだけやってるんだから、わたしも」とか「わたしが疲れたなんて言っていられないな」なんて思う必要は全く無い。

定時で帰ったって「疲れた」って言っていいんだよ。
ホワイト企業でも「合わない」って思っていいんだよ。

いつだって比較する対象は友人でも同期でも先輩でも無い。
普段の元気な時の自分と比較して、何が「疲れる」のか、何が「合わない」のかを考えることが自分を守ることに繋がると思う。

身体やこころを壊す前に、どうか自分を守って。
疲労や、合う合わないの基準なんて人それぞれなんだから。



自分自身のSOSにいち早く気付けるようになってね。

大丈夫、会社は一社だけじゃないから。
転職したって全然問題ないんだから。

いつだって、比べる相手は自分自身なんだ。


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