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「憧れ」に間違いなんて無いんだよ

「憧れのひとは誰ですか?」と聞かれて即答できるひとはどれくらいいるんだろう。

常に心に憧れの存在があると、行動の軸がブレないように思う。



「憧れ」ってそれ自体はとても純粋な感情で、だけどその「憧れ」に対しての行動が人によって異なってくる。

わたしの場合はひどく格好悪くて、憧れるなあと思ってそれで終わり。


憧れに近付こうとすることと、憧れの真似をすることは、わたしの中で似て非なるものみたい。

中学生の頃「最近○○先輩の喋り方に似てきたね」って言われたことがあって、それがとても恥ずかしかった。
似ているねと言われたのは部活の中でもいちばん好きな先輩で、指摘されたその言葉にハッとすると同時に、無意識のうちにそんな行動を取っていた自分におこがましいな、と思った。

だってそれは先輩じゃないし、それにわたしでもない。

意識して真似することと、無意識で変わってしまうことは違う。
先輩に真似していたことがバレないように、そのあとは意識的に自分の話し方を取り戻していった。


もちろん憧れに近付けたら嬉しい。けれど、だからと言って近付く努力をする訳でも無いし、そもそも「憧れのあのひとみたいに」なんて考えにならない。なれないって分かっているから憧れている部分も少なからずある。

なんだかわたしの憧れは安っぽいけれど、それでも憧れていることには変わりないし、憧れないことも出来ない。




わたしのような憧れもあれば、行動を伴う憧れもある。


ジャンプで連載中の『僕のヒーローアカデミア』には、常に心に憧れの存在を持つキャラクターが多く登場する。その憧れの存在は、ほとんどがヒーローだ。

世界の人口の8割が4歳までに何らかの超常能力(個性)を発動させ、その個性を悪用する敵を倒すヒーローが人気の職業となっている。

主人公のデクは無個性。
それでもナンバーワンヒーローである"平和の象徴"オールマイトに憧れてヒーローを目指し続ける。その姿を憧れの本人に認められ、オールマイトから個性を受け継ぎ、物語は始まる。


誰もが憧れるスーパーヒーロー。

その憧れのようになりたいと願う者。
その憧れをも超えていこうとする者。

「憧れる」その気持ちはただ純粋なものなのに。

「てめェの憧れの方が正しいってンなら
じゃあ俺の憧れは間違ってたのかよ」

デクの幼馴染である爆豪勝己(かっちゃん)は優秀な個性を持っている。子供のときからデクよりも圧倒的に強かった。前を走っていたのは自分だったはずなのに、いつの間にかずっと後ろにいたはずのデクが追い付いて来た。それどころか憧れのオールマイトにデクは認められ、力を受け継ぎ、自分を追い抜こうとしている。


共に、憧れたのはオールマイトだった。
憧れの対象は同じでも、ふたりがオールマイトに憧れた部分は異なってくる。

どんなに不安な状況でも「もう大丈夫!何故って!?私が来た!!」と笑顔で多くの人を助ける。そんな、オールマイトがいれば大丈夫だという絶対的安心感に憧れたデク。

どんなに多くの敵に囲まれても、どんなにピンチでも絶対に最後は勝つ。そんな、オールマイトの強さに憧れたかっちゃん。

オールマイトのようにどんなに困っている人でも助けたいと思うデク。

オールマイト以上に誰よりも強くなりたいと思うかっちゃん。


ふたりの「憧れ」に正しさはあっても、間違いなんて決してない。
どちらの憧れの方がより良いか、より上か、なんて。

「憧れ」だけじゃない。
「好き」だと思う気持ちも同じで、他のひとと比較する必要なんてないんだよ。

それぞれの「憧れ」や「好き」があって良い。

それ自体がとても純粋で強い気持ちだということを忘れないで大事に扱っていきたい。
間違いだなんて思わないで、憧れの存在を心に大事に留めておければ、それは絶対に原動力になる。迷った時に支えてくれる自分の行動の指針になる。


かっちゃんのオールマイトへの憧れは決して間違いなんかじゃないんだよ。



「憧れのあのひとみたいに」なんて考えられないと最初に書いたけれど、わたしは迷った時や悩んだ時に憧れのひとを思い浮かべる。

こんな時、あのひとだったらどうするかなあ、と。

そうすると自分の取りたい行動が見えてくる。
わたしが思い浮かべるひとは大抵いつもにっこり微笑んで「大丈夫」と力強く頷く。その姿を心に思い浮かべれば不思議とわたしも「大丈夫」と思えてくる。


心の中にいる憧れは、いつだって自分のヒーローなんだ。


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